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hasunoha 問答検索結果 : 「お経について」
検索結果: 3053件

葬儀の後の弔問などについて

愛する彼女が先月亡くなりました。 家族葬でしたが、ご家族には良くしてもらい葬儀に参列させていただき、また火葬も参列させていただきました。 しかし葬儀後から今日まで52日経ちますが、その後お線香をあげに行けていません。 (ショックが大きくて仕事以外で外出できなかったため…が大きな理由ですが、お線香をあげにいく頻度だけが供養となるのか疑問だからです。) こんな情けなくて薄情者な自分に嫌気が差します。 こんなに日にちが空いてしまって、ご家族も今更なんだろうと思いますでしょうか… 私はどうればよいでしょうか。 今からでもお線香あげに行っても良いものでしょうか。それとも秋の彼岸のような節目に行くべきですか? 調べれば調べるほどマナーや〇〇するべきのような情報が出てきて、混乱してわけ分からなくなっています。 彼女とは交際期間は3ヶ月と短かったため、私の家にはあまり彼女の物もなく、家にたまたま忘れて行ったタオルに向かって毎日拝む日々です。 お線香はあげていませんが、彼女のことを失ってとても辛いですし、供養したいという気持ちはあります。 しかし月命日ごとにお邪魔したり、やたらとお伺いするのは逆にご家族に迷惑になるような気がしています。ご家族からは葬儀後、今回のことを引きずらずに自分の人生を歩んでいってくださいと連絡いただきました。 文がまとまっていなくて申し訳ありません。 あくまで一般論として、 恋人と死別した場合、葬儀後の弔問の頻度はどの程度が良いか?をお聞きしたいです。ちなみにお墓に納骨はしておらず、ご実家の仏壇への訪問となります。 また、故人に対してちゃんとお線香をあげたりしなければ、故人へ私の供養の気持ちは届かないでしょうか。決してしたくない訳ではないのですが、どうも頻度と想いが比例するとは思えないのです…やはり私は薄情な人間なのでしょうか。

有り難し有り難し 11
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これからどのように生きていくか。

2歳の子供がいます。 去年離婚しました。長く付き合って結婚しましたが、ずっと裏切られていました。子供が生まれてから知りました。たくさん嘘をつかれており、どんな裏の顔があったのか未だにわかりません。知るのが怖いです。(もう知る方法はありませんが…)たくさん苦しい思いをしました。本当に死にたいと何回も思いましたが、生まれてきてくれた子供のことを思うと死ぬことができませんでした。 どんな辛い思いをしてもこの子だけはきちんと育てると誓いました。子供はとても可愛く父親が居ない環境にしてしまったことにとても申し訳なく思っています。また、周りの人にたくさんな迷惑をかけてしまったことに反省しています。私がこの世に生まれて来なければこんなに周りな人は嫌な思いをしなくてよかったのにと思ったときもありました。 一生一緒に生きて行こうと決め、信じていた人に裏切られ辛いです。長い間嘘をつかれていた事に気がつかなかった自分は今までの生き方が間違っていたのかと不安になります。 またみんな悪い人に思えてしまい、人を信じる事ができなくなってしまいました。これから先どのように人と関わって行けばよいのでしょうか? まとまりの無い文書で申し訳ありません…よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 39
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亡くなった方の気持ちが分かる方へ

供養をするということに関して、突き放してしまうイメージがあり、いずれ行う気があっても出来ずにいました。 お供えやお線香、合掌、話しかけは自己満足になりますが丁寧に行っています。 帰りたくない、と拒否していることはありえますか? (以前手持ちのスマホにて七七日の記録が付けられないことがありました。何度行っても瞬時に消え、留まっていたいのかなとその時は感じました。) また、夢で辛い事を頻繁に体験するようになりました。子どもに関係するものです。(子どもを亡くしました。) 純粋に、共感してほしいと教えてくれているようにように感じます。子どもの苦しみは、どうしたら消えるのでしょうか。 お坊さんにもお頼みすることと思いますが、お坊さんにお頼みしたらそれで最後という気がして それ以前にわたしが取り除いてあげられればと思っています。 出来ることがありましたら教えて下さい。 それから、納骨に関しまして お寺さんにお預けするか、家で保管するか(この場合いずれは御先祖様のお墓に納めようと思っていますが先々の話となってしまいます) どちらが良いと思われますでしょうか。 子どもが一番望む形をとりたいのですが、無知なもので一緒にお考え頂きたいです。 どうか子どもだけでも愛情を知った無垢の魂として暖かく光っていてほしいと、そう願っています。

有り難し有り難し 16
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二重人格?

海外のカフェで働いています。 接客業が大好きで、どんなお客様とも話しができるし、お客様の為なら全く苦なく、プライベートで悲しいことがあっても、仕事場ではころっと変わって笑顔で接客ができます。 そんな私を慕ってお店に来てくれる人がたくさんいます。本当にありがたいです。 人前に出ると、ともかく笑顔でフレンドリーなので、友達がいっぱいいそうと言われます。だけど、仕事が終わると誰とも関わりたくないんです。めんどくさいと思ってしまいます。買い物も、常連のお客様に会わないで済むようにだいぶ遠くへ行きます。友達も1人しかいません。その子は引越しをしてしまったので、普段プライベートで会う人もいません。友達になりたいと思う人がいても、誘いを断られるのも悲しいので、結局なにもできません。今、旦那は海外にいるので、家では1人です。誰とも会わず、休みの日は1人で家にいます。外に出るのがいやです。 職場の人間関係で悩むことが多いです。その葛藤も結局誰にも言えませんし、言いません。まれに唯一の友達に話しますが、それ以外では旦那にも仕事関係の話はなるべくしないようにしているので、どんどん溜まっていって、心が汚くなっていきます。本当に感じます。それが最近、職場の人に態度で出てきてしまいました。後悔することがいっぱいです。 一方では明るい笑顔の自分がいて、また一方では怒りや悲しみが中でグツグツ煮立っている状態。全く違う二つの自分がいて、二重人格なのかとか、頭がおかしいのかと不安です。 いつでも誰にでも笑顔で接することが出来て、家に帰っても怒りとかネガティブな事を体に貯めることなく生きるきためには、なにから始めたらいいのでしょうか。

有り難し有り難し 16
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母が癌になったことで、自分の送ってきた人生を悔いています

初めて質問させていただきます。 母(61歳)が直腸癌になり、手術をしました。手術では、癌とリンパを切除したけれど、ステージは3bもしくは4なので、抗がん剤で治療した方が良いと執刀医に告げられました。病理検査待ちの状況です。 手術で全て取り切り成功しましたが、検査の段階ではステージ3aと言われていたので、思ったよりも悪かったことに、気落ちしています。 抗がん剤の治療について、書籍やネットなどで調べると、副作用の辛さや万人に効くわけではないと分かりました。また再発や転移の可能性が高いことや、様々な情報、特に悪い情報ばかりが目につきます。また、手術後ベッドの上で色んな管に繋がれている母を見ると、どうして母がこんな目に合うのだろうかと悲しくなります。 母は癌と分かっても気丈に振る舞い、「あなたを残して死ねない。負けないよ」と言ってくれました。 再発や転移の確立を考えたとき、5年後に母はいないかもしれません。そう考えた時、私は自分の人生をとても後悔しています。母としての幸せ、娘の花嫁姿や孫の顔を見せてあげることができません。恋人もいないので、難しいと感じています。それを叶えられないことが、とても申し訳なく、私にも家族がいたら、母も安心したのではないかと思うのです。自分のことより、娘の私のことをいつも気にかけてくれた母に、本当に申し訳ないと思っています。 抗がん剤の治療も効かない場合は、ただ寿命を減らし、苦しんで死期を早めることもあると聞きました。母には苦しんでほしくありません。辛い思いをしてまで、寿命を延ばすことに意味はあるのでしょうか。自分の気持ちが整理できず、母の前では普段通りに接していますが、1人になると涙が溢れて仕方ありません。 先の見えない不安が怖くて仕方ありません。母のことも心配で不安ですが、同時に自分の送ってきた人生を責める気持ちが溢れてきます。 自分の気持ちの整理の仕方を教えていただけないでしょうか? よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 59
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「いつか」なんて本当にあるんですか。無いんじゃないですか

結婚したいです。 「いつか良い人が現れる」 「今回がダメだったとしてもいつか次の機会は来る」 そう言われながら頑張ってきました。でも今はもう信じることができません。 縁があるなんて嘘はもう結構です。 街コンにも何度か行きました。 コミュニケーション能力が行かなかった時よりはマシになりましたが、それだけです。連絡先の交換すら誰ともできませんでした。 知人、友人、親類、会社の人等、周囲の人に紹介をお願いしてもいます。 有難い事に何件かお話を頂けました。 しかし誰一人まともに続きませんでした。大抵の場合「相手からの印象も悪くなさそうなのに会うと連絡が途切れる」という流れです。以前の相談の時の方もです。 数日前にもまたお話を頂けたのですが、同様の流れで終わりました。 もう嫌です。疲れました。また頑張ろうという気力がもうありません。 進んだ話が何一つ無く自信が無くなりました。紹介話もそこまで多くは無く(頂く身でありながら我儘な物言いではありますが・・・)、「次の機会があるさ」と構えて臨むことができません。 あれだけ楽しかった趣味も最近あまり楽しく思えず、気分転換もできません。 ここ数日ずっと寂しい辛いと考えながら過ごしています。 数日前の失敗を引き摺っているのかもしれない、と思って間を空けてこの相談を書いていますが、日を追う毎に悪化するばかりです。 流石に自殺までは考えていませんが、気儘に不摂生して早死にしたいとか、死んだらもう寂しくないかな・・・という思考はしょっちゅうしてしまいます。 しかし、こんな事を考える毎日を送っていても、まだ諦めたくないという思いがあります。もう1回頑張りたいとも思います。 ただ、今の自分では独力で折れた心を治せません。 どうか、立て直すためのお話を頂けないでしょうか。

有り難し有り難し 54
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白骨の御文章に思う

広島在住で、いわゆる安芸門徒と呼ばれている地域の者です。 葬儀と言えば導師による読経の後、定番となっている《白骨の御文章》の拝読があります。 拝聴している遺族、縁者にはこの御文章の言葉ひとつひとつが重く胸に突き刺さり 感極まって涙する姿は参列者の心をも締め付けるものがあります。 そこで以前から私には一つの疑問がありました。 法話を聴聞する為にお寺参りをした折、読経後に住職あるいは講師としてお招きした僧侶による御文章拝読がありますが  この御文章は数ある章の中から日替わりで読まれている様です。 しかし なぜか私の地域では《白骨の章》にだけは巡り合う事が殆どありません。 普段のお勤めの祭には意識的に避けて、葬式の時に用いる切り札として温存している様にさえ思えるのです。 (もし、他の地域あるいは他宗派では違うのであればごめんなさい) その理由として お寺参りと言えばどちらかと言えば余生短し老人が多いので 死を意識させる話題には触れないでおこう。 そして葬式に限り《白骨の章》で締めれば無難であろうといった僧侶の方々の思惑が働いているのでしょうか? “人の死 ” というものは日常においては誰だって考えたくはないし、忌み嫌われる事はわかりますが 死 という事ほど絶対的に決まっていることはありません。 なので 子供のうちから葬式以外の日常の中で《白骨の章》を耳にするチャンスをたくさん頂くとか 御文章に綴られた深い意味に気付かせて頂く機会が多い生活を送ることは決して悪いことではないと考えるのです。 いつか必ず自分の番が回ってくる死に対しては 若くて元気な時から真剣に考えておかなければならない大切な事だと思うのです。 そうすることが 今の人生を真面目に正しく生き抜く力になるのではないでしょうか。 とは申しましても 現実問題として 住職様の立場から言えば「お寺参りの度に《白骨の御文章》を聞かされたのではたまったものじゃない!」と門徒の方から批判を受け、お困りになるかも知れませんが 私の様な考を理解して頂ける方はおられないものでしょうか? また《白骨の章》を敬遠しないで日々の暮らしの中に活かせる良い工夫があれば お聞かせ頂きたいと思います。

有り難し有り難し 37
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心と実際の間で。

最近、とても気持ちが不安定です。 心の持ち方を変えなくては…と出来ることを始めようと、お坊さんの書いた本や、ブッタの本、自己啓発の本、写真集や偉人の言葉などを読み漁っています。 例えば、怒りの気持ちを10秒我慢してみましょうとか、普段の生活を見直しましょうとか、あらゆる色々なアドバイスを読んでは実行しようと頑張っています。 でも、そうやって1つ1つの動作に緊張感を持ってるせいか、今まで以上にストレスがかかり、それがあちこち体に出てしまいます。 心が乱れると、食生活も乱れ、家族には手の込んだものを作っていても、自分は菓子パンとか、ごはんだけとか、お菓子で済ませることもあります。 1番治したいところは、すぐにイライラしてしまう事です。接客業なので、仕事中は感情を露にはしませんが、その分些細な事で子どもに必要以上に怒鳴ってしまったり、理由もなくイライラしては甘い物を過食してしまったり… 最後に笑ったのはいつなのか分かりません。 多分、こうして切羽詰まって相談させていただいていますが、その御返事の御言葉も心の奥底では分かっているのだと思います。周囲はそんな私に、更年期だから…と言いますが、そういうせいにはしたくないのです。精神科に行って薬に頼るのも嫌なのです。 心穏やかに、周囲に感謝し、妬み恨みを抱かず、優しく静かに暮らしたいです。もちろんそうならないのは、自分自身のせいだと熟知しています。だから苦しんでいます。 抽象的で矛盾したご相談かもしれませんが、どうか教えていただきますたいです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 15
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