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hasunoha 問答検索結果 : 「�%8」
検索結果: 2962件

ご先祖に感謝?したくない

 お寺のご法話などで「今、あなたがいるのはご先祖様のおかげ。感謝しましょう」と言われます。それを素直に受け入れられません。  両親ともにいわゆる毒親です。 亡き父はDV男。根拠なく他人を見下すが、本人は自称自営業で社会的な信用がありません。その他諸々こちらに書くのが恥ずかしい程幼稚です。 存命中の母は過干渉で自分があがめられないとキレる。 両親ともとにかく話が通じません。  父母とも健全な家庭で育っておりません。特に父方の祖父母、父の兄弟姉妹は絶望的です。DV、たかり体質です。今は没交渉です。  ここでふと気づいたのですが「虐待は連鎖する。祖父はやはりDV、祖母はたかり体質。ということはその親もおなじなのでは?まともな家庭からあのような人たちが出るわけがない。もう家系としてダメなのか。」  これでご先祖様に感謝してと言われましても。厳しいです。辿っていくとたくさんいるという話ではなく、直系で代々ろくでもない人たちなのか?親と自分は別とはいえ、その代々の血が流れていることに嫌悪感すら抱きます。  言っても仕方のないことですが、この親の元にうまれた運命が残念で仕方がありません。毎日苦しいです。  このような思いを抱えながらも、それをより大きく包み込み、自分がつぶれないヒントをいただけると幸いです。

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十二因縁(縁起)を例えると…

日頃、宗教や哲学について、ネットあさりしています。 最近は仏教、特に原始仏教と呼ばれるものに興味を持っていますが、十二因縁(縁起)について、府に落ちたイメージを持つことができません。 そこで、難しい言葉や理論を使わず、現代でもわかりやすい具体的な例えを挙げていただきたいと思い、こちらに質問してみました。 なお、こういった知識(智恵でしょうか?)は、一言では語り難いものでしょうし、また言葉だけでわかったつもりになってはいけないとも思っています。でも、こうもイメージが湧かないと、日頃に意識することも難しい。 ぜひ、「なるほど💡 そんな感じなのね!」と感触を得られ、日常の中でさらに感触を深めていけるような例えを、いただきたいと思っています。 ちなみに、これまで私が掴んだ感触・知識は次の通りです。間違いや不足もあると思いますが、その部分こそ、例えで払拭したり補足したりしていただきたいです。 十二因縁(縁起)とは、 無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個 「無明によって行が生じる」のように、前の物が次の因になる。 最後の「生、老死」については、「生まれることで、老いがあり死がある」ということ? では、「無明→行」「行→識」「識→名色」「名色→六処」「六処→触」「触→受」「受→愛」「愛→取」「取→有」「有→生」「老死→無明」はそれぞれ、どのような因果なのか。 現代でもわかりやすい例をあげるとすれば、どういう例が考えられるか。 仏教に疎い者でもわかりやすい例を、ぜひよろしくお願いしますm(_ _)m

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お寺に嫁いだ嫁の家族。立場は1番下。

先日、住職である義父が亡くなりました。 通夜には当然私の家族も参列したのですが、翌日に坊守である義母から呼び出されました。内容は ・私の家族が座った位置 ・役員さんが帰る際、通りすがった母もお見送りをした事 を指摘されました。 お寺では1番は住職、その次に家族、親族、役員さん方が来て嫁の家族は1番下だとはっきり言われました。 なので座る位置も1番後ろ、表立ってお見送りするのはもってのほかとの事。 そしてそれは常識だと言われました。 役員さんに文句を言う人もいて経営に差し障ると困ると叱られました。 知らなかった私たちも悪かったと思いますが、これは常識なんでしょうか? 寺では常識かもしれませんが一般常識では無いと思います。 ちなみに、副住職である主人は知らなかったそうです。 そして見送りをしていた母に義母は 「しゃしゃり出て」 と言い放ちました。本当に常識がある方はこの様な言動するでしょうか? 席順も私の家族は誰かに席を譲られたそうで流れで座ったので悪意も全く無かったと話しても義母は聞く耳持たずです・・・ 住職様方にお聞きしたいのはこの扱いはどのお寺でも当然なのか否かです。 2日間夜遅くまで手伝いに来てくれた母が不憫になり質問をさせていただきました。 長々と失礼しました。回答をよろしくお願いします。

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将来の考え方について

こんばんは、以前友人関係で相談させていただいたものです。その子とは和解できました! この春高校生になりました。わたしの通っている高校は進学に力を入れています。しかし、私は将来の夢ややりたいことが決まっていません。 前は動物と小さい頃から一緒で困った時には支えてくれるので恩返しがしたいと思い獣医など動物にかかわる仕事がしたいと思っていたのですが、経済的に厳しくなくなく諦めました。 別のことをさがしていました。 修学旅行の時法話を聞き、自分でも誰かを救えるのではないかと気づき仏教やお坊さんについて興味を持ちました。 先日駒澤大学のオープンキャンパスに行ってきました。仏教学部の資料館の見学や写経を体験させていただきました。写経ではすっと集中でき、周りの音が気にならなくなり、とてもいい気持ちよくなりました。また、仏教の世界に感動しました。 仏教やお坊さんについて教えてください。 1つ目は身内にお坊さんがいないのですが、私が志しても良いのでしょうか? 2つ目はお坊さんや尼さんをやっていて良かったと思ったことを教えてください! 3つ目は尼僧さんはどのような場所でおつとめできるのでしょうか?また女性を受け入れていただけるお寺はあるのでしょうか? まだまだ未熟なので失礼な質問があったらすみません。よろしくお願いします!

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日本の宗教に対する意識と新興宗教について

日本には、なんとなく政治と宗教な話は、親しい間でも話しにくいような風潮があると思います。例えば私自身家族の中でも応援している政党が違ったりするとなんとなく気詰まりな感じがします。そういう宗教や政治の話がなかなか気軽にしにくい日本の風潮にお坊さんはどう思いますか? 話は違いますが、うちは曹洞宗ですが、遠くに住んでいる親戚の叔父が韓国の方が教祖のキリスト系の新興宗教を信仰しています。叔父さんはとても元気でタフで明るくて面白くて好きですが、宗教の話をしている時に進化論を否定していることに驚きました。たしかに進化論が正しいかは、私自身教科書でしか教えられておらず、自分で確かめたことはないので、確証や証拠で反駁することはできないのですが。 あと人間だけ霊界があるというその宗教の教えに対しては、全ての生き物が限られた生を命の限り全うするということは同じな世界で、人間にしか霊界が用意されていないという考えがしっくりきませんでした。当然信仰の自由があるので何を信じるかの選択の余地は一人一人あり、全く否定する気はありませんが。その対話をしている時の母がもううんざりといった言動でもう終わりにしてほしいというオーラが全身から漂っていて、とりあえず途中で私が引き下がりました。(こういうところでも宗教の違いを対話するのを嫌がる日本の風潮を感じました。) 比較的歴史の洗礼に耐えて伝統を長く受け継ぐ仏教の宗派のお坊さんは、新興宗教と呼ばれている宗教の特徴や教えについてどういうお考えをお持ちなのか、気になりまります。 お手すきの時にお返事頂けたら嬉しいです。

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神や仏の存在とは?

今日、ふっと思った事の答えを教えて欲しいです。 この世には色々な宗教、宗派がありますが、基本的には人々を幸せに導く為や心の拠り所として神や仏というものが存在しているんだ思います。 しかし、事件や事故に巻き込まれて突然命を奪われて亡くなる人もいたり、生まれつき障害や病気を抱え生涯苦労したり生まれてすぐ亡くなる子供がいたりします。 また、生まれ育った環境で心に傷を負ったまま生きていかなければならない人達もいます。 第三者は同情したり励ますだけで終わってしまいますが、当事者やその家族は「なぜ?」「どうして?」と言う疑問や悲しみだけしか残りません。 人は神や仏に助けを求めたり幸せになれる事を祈り信仰してるんだと思いますが、なぜこの様な差と言うか違いが生まれるのでしょう? 当事者や家族にしてみれば祈りや信仰は何の意味も無いし、悲しみを癒してくれるものでもないと思ってしまうのではないでしょうか? そう思うと神や仏とはいったい何の為に存在してるのでしょうか? 私の友人の奥様は5歳の子供を事故で亡くし、その後生まれた子供もわずか6ヶ月で病気で亡くしました。 奥様は廃人同然の様になり今も精神科で入院しており、友人も以前とは見る影もない程落ちぶれてしまいました。 きっと幸せな生活を夢見てたと思います。 ニュースで土砂崩れに巻き込まれて21歳の女性が行方不明になっているのを見て、その女性もこれからの人生に夢と希望を持ってたはずだろうなぁと思っていた時、神様って何なんだろうとふっと思ってしまいました。

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このお寺をどうすればいいのか、わからない。

関わっている寺院の改修について、どうすればいいのか判断出来ません。 強風と、境内の巨木の枝によって、瓦が落ちました。それを機に、本堂の屋根などを調査して貰ったら、全体的に老朽化していて、雨漏りも多数あるとのことでした。 さて、改修となりますと、当然ながら門徒様への「懇志」を必要とします。 その額は6桁を超えます。しかし、懇志をお願いする以前に、自坊から(宗費や伝燈奉告法要懇志 事務費を除いた上での)修繕費を捻出出来ません。 年間に頂く財施の合計も少なく、担保になるものも無いため、金融機関からの融資依頼も絶望的です。 また、老住職が寺務に無関心であり、門徒様からの説得にも一切応じる意思を捨てている為、お金も出されず、話になりません。 見積もり書をもらい、町内の総代様とお話しても、お寺側が動いたら動くというスタンスです。僕は、この問題から逃げたくて仕方ありません。雨風の強い日が来る度に、不安になります。放置して、良くなることなんて絶対にありません。 門徒様の中には「私らは年金生活だから、大金出せないよ」とか、先に釘を刺される方もいます。 それはそうですよね。 年金は減らされ、消費税は上げられ、保険料や固定資産税も高くなり、みんな生活を送るのに節約して、やっとやっとです。 高齢者でこれなら、お若い方々は違うのかと言うと、そうでないですよね。みんな生活苦です。自分の家の修理もままならないでしょう。 それらを思うと、果たして大金を出すのをお願いして、でも一方でお寺側はお金出せませんという形で、お寺の修繕費をお願いなんて、しちゃいけないんじゃないか?と思うのです。 私は、どうすればいいのでしょうか。 また、お坊様方は、お寺の修理を行う迄に、どのような御苦労をされましたか。宜しければ、教えてください。

有り難し有り難し 101
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