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hasunoha 問答検索結果 : 「私 遺骨 」
検索結果: 508件

死と宗教について

私はキリスト教と仏教のもとで育ちました。 学校はキリスト教で、お葬式などは仏式が多かったです。 ハスノハは、非常に説得力がある意見もあり、頼っています。 仏教の話もキリスト教と同じかそれ以上好きです。 しかし、キリスト教的な祈りが一番馴染むのです。 古典的な宗教は、同じこと、人間の本能に従って考えつくされたもので、共通するものがたくさんあると思っています。 天の国を悟りと考えたいのかもしれません。 邪道と言われる方もいると思いますが、 父母もキリスト教を信じていた時期もあるので、 僕がキリスト教で育つことになったのですが、 今の両親は、無宗教に近いです。 既存宗教に疑念を感じ、個人の問題と考えている感じで、 ぼくも似ています。 しかし、葬式をどうするかという話がずいぶん前に出たのですが、 家族の意見ががバラバラだったのです。 親も老いてきて考えると、 仏教を信じて、「悟りの中に救われて」亡くなっていく人と、 キリスト教に肩入れしながら、天の父に迎えられると思いながら去っていくことが、 違うものであってほしくないと思ったのです。 母は、無宗教で、自然に返るかのように楽になりたいと思っています。 父も、曹洞宗に肩入れしてますが、似た感じだと思います。 キリスト教に肩入れしている自分だけべつな場所に行くような気がして非常に寂しいです。 これをどう思われますか? これからも続く人生、いつ死ぬかわかりません。 死んでも共にいられる・・・というような安心感が欲しいのかもしれません。 それは、宗教的な問題ではなく、日常で考えるべきことで、いま寂しいだけかもしれません。 考えて行こうと思いますが、 何度か考えたことなので、ご意見を伺ってみたいのです。 1人の凡夫として諭していただけたら 本望かと存じます。

有り難し有り難し 26
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曹洞宗 大親友の死とペンダント

どうかお知恵をください。お願いいたします。 先日、親友が亡くなりました。 あまりにも突然の別れに心の整理がつきません。 親友を思うと、涙が溢れて止まりません 。 苦労も多いのに顔に出さず、我慢強く太陽の様に明るく、心優しい女性でした。 私は彼女の笑顔にたくさん救われました。 大好きな彼女の笑顔は私の人生の宝物です。 お聞きしたい事があります。 これからの大切な日も親友と共にしたく、親友の写真を入れてメッセージを彫ったロケットペンダントを作りたいと思っています。 彼女は寂しがり屋です。 友達と過ごす時間も大切にしてくれる私だけではなく、私達仲間の大切な存在です。 年に数回ある友人達との集まりや、今年ある友人の結婚式など、親友が生きていれば一緒に参加する予定だった行事へ着けて行きたい思っております。 そして、ペンダントはこれからも私達仲間との特別な日に着けたいと思っております。 でも、その事が親友の成仏の妨げにならないかと不安になり質問しました。 親友の葬儀は曹洞宗でした。 曹洞宗について知識がない為、インターネットなどで色々と調べたのですが、仏壇へ写真を飾る事は大丈夫と記載がありましたが、ペンダントについての情報がありませんでした。 とても大切な大好きな親友です。 彼女が安らかである事を一番に考えたいです。 どうかお知恵をください。 お願いします。

有り難し有り難し 19
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近い未来の無縁の墓について

母方の親戚には子供がいない家庭が多く 無縁仏になるであろうお墓が 何墓かあります 祖母の姉の家お墓 息子夫婦で守る 孫が生まれるもすぐ亡くなる (これについては息子夫婦の問題だと思うのですがこの息子我関せず 奥さんは嫁なのでほっぽって終わりにします!という方) 祖母の弟の眠る墓 子供がないため奥さん一人が守る 祖祖父、祖祖母も眠る墓 祖父もここの墓に入っています 祖母も入る気満々 当然一人娘である母も入って当然!という考え 母は、というと 祖母が奔放の性格で幼い母を置き去りにし 男と駆け落ち 祖祖母に引き取られ 祖母の弟にいじめられて 育ったため そんな気なし! (母は永代供養共同墓地を用意するつもり) 私に永代供養する手続きが できればいいのですが 私にも子供がいてしかも、いくつもでは 厳しいのが現実です 傍観者で何も出来ない私は 御先祖様にも、 処理をされるであろう お寺さんにも 申し訳ない気持ちです 見捨てるような気持ちが 近いのではないでしょうか それとも無理をしてでも 私が守っていくべきなのでしょうか 仮に頑張って私が受け継いでも続いていけるとは思えません 分かりにくい文章でごめんなさい どなた様か良いアドバイスを 頂けませんでしょうか

有り難し有り難し 9
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一回り違う腹違いの兄と不仲

今月叔父の一回忌があるのですが、 いきなり私を呼ばないと言い出しました。 ですが私は呼ばずに叔父の従兄弟は呼びます。 別の叔父が兄を説得しても施主が決める事だし、なぜ妹の味方をするんだと怒ったそうです。 呼ばない理由を聞いたら私がお彼岸にお線香をあげに来なかったからだそうです。 すぐに兄に電話しました。 私事ですが今不妊治療中で生理がお彼岸にきて 精神的に参っていて実家には行けませんでした。 その事を伝えると後付けだの理由を言えばよかったと怒鳴られました。 それから話が膨らみ実家に来る度お線香あげないのが今までずっと気に入らなかったと。 兄自身亡くなった祖母や父にお世話になったから毎日朝晩お線香あげてるのにお前はあげない時があるよな?と。毎回ではないですが実家に帰る度極力あげるようにしていました。 私はすぐに怒り怒鳴る父と兄が大嫌いで19で家を出ました。その間父と別居していた母の看病し、それでも父は何もせず離婚をしない父にイラつき父が亡くなるまで6年帰りませんでした。 その間に祖母も亡くなりました。 その日から私は後悔と懺悔で法要の度に孤立し 心の中で謝っていました。 それから7年今まで言われた事はなく、 いきなり私の過去の行いや親戚、亡くなった叔父も私の事を悪く言っていたし、夫の悪口も言われ そんなんだから子供に恵まれない、お線香たてに実家にちょくちょく帰ってくれば子供も恵まれると言われました。 その間謝ってもずっと唸られ罵倒されました。 法要に呼ばないと言い出した理由は亡くなった叔父の遺産で兄が1番得をするように税理士を雇い私がおかしいとたてついたからだと思います。 叔父もきっとそれが根本的な理由だろうと。 自分の取り分が減るような事を言ってきた妹が 気にいらないのだと思います。 それ以来実家に帰っても喋りかけてこず、 ずっと怒ってる様子でした。 遺産も1年たっても未だにわけず、 兄の手元にあります。 これも嫌がらせだと思います。 それでも言われた通り居心地が悪く顔を見たくない兄のいる実家にお線香をあげに行くべきでしょうか... 私自身色々罵倒され兄と会う事が怖く精神的に追い込まれ兄と縁を切りたいくらいですが、 亡くなった祖母、父、叔父が悲しむと思いどうすればいいか日々悩んでいます。 長々となり文章力がなく読みずらく申しありませんが宜しくお願いします。

有り難し有り難し 18
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お墓をどうするか

私の家は、所謂「本家」になり、私はその長男となります。 私の実家や、現在の私の住まいの近くには、先祖から続く墓があり、私は両親から「墓を守っていってほしい」と言われ続けてきました。 私は結婚しており、2人の娘(長女は中学生、次女は小学生)がいます。 私の正直な気持ちを申し上げますと、将来、長女又は次女が婿を迎え入れ、墓を継いでくれれば一番だと思っています。 しかし、このことについては、妻が反対しています。 墓を継ぐために子供たちの就職先等が縛られ、活躍の場が制限されるのは絶対に嫌だというのです。 私は、両親からの言いつけもあって、事なかれ主義的な気持ちで、娘に婿を迎えるのがベストと考えてきましたが、妻の言うこともよく理解できます。 昨今においては、女性天皇、女系天皇の問題をよく耳にします。私の家は、地方都市の中流家庭で、皇室に準えることができるような立派な家柄ではありませんが、この問題を我が家に置き換えてみますと、娘に婿を迎え入れて墓を引き継いでいっても、無意味なのかなという気持ちにもなってしまいます。 私は、このことに非常に頭を悩ませており、時々一人で墓参りに行っては、お墓に向かって謝っています。 そこで質問なのですが、墓じまいというのは、御先祖を思えば、絶対にやってはいけないことなのでしょうか? また、そうすることで、御先祖の怒りを買ってしまい、私は死後も御先祖に顔向けできない存在になってしまうのでしょうか?教えて下さい。お願いします。

有り難し有り難し 20
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浄土真宗に対するカルチャーショック

先日質問をさせて頂きました。 今回はお盆にあった事と、つい最近あった事についての質問です。 私は曹洞宗です。今年亡くなった祖母は禅宗から浄土真宗になりました。(祖父が浄土真宗だったからです) 祖母の新盆があり、お寺にお参りしてきました。 納骨堂には祖母の遺影を置いてきました。 広場でお経をあげられた後、お坊さんから精霊馬を置いている人は居ないかと聞かれ、皆さん手をあげず、私は自宅では飾って居ますが、手をあげませんでした。 その際、皆さんよく勉強されている、浄土真宗では飾らない、また、故人はお盆には帰ってこない、何故ならもう成仏しているから。と喜々として語られていました。 ちょっとショックでした。 確かに浄土真宗教義ではそうなのですが 言い方を変えると二度亡くなった感じに感じました。 曹洞宗の私は成仏した成仏してないに関わらず、お盆とはそう言う物だと思って居たからです。本来の教義からすると離れるのかもしれませんが、こちらから成仏した成仏してないの確認は出来ませんので、一律に帰ってくるものだと思うようにしていました。 正直今後宗派が違う祖母のお寺のお盆参りには行かない方が良いのかとすら悩みました。 先日祖母の月命日があり、お寺にてお経をあげてもらったそうです。こちらからお願いして頂いたそうです。祖母の納骨堂の前でお経を貰ったそうです。 既に成仏していると言う考えなのであれば、納骨堂の前でするのではなく、本堂の阿弥陀如来の仏像の前でするのではないのか?と思いました。 浄土真宗では納骨堂に意味があるのでしょうか?そこに居ないで阿弥陀如来に手を合わせるのであれば意味が無いのかと思ってしまいます。 そしてそのお寺では死後の菩提寺が無い人に対して浄土真宗になればうちのお寺で対応すると言うような手法を使われているそうなのですが、こういう事は良くあることなのでしょうか? あまり祖父母が浄土真宗としてのお参りなどをこれまでしてきていなかった事と、子供の頃から曹洞宗のお盆で慣れて居た事もあり、面食らって居ます。

有り難し有り難し 71
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友人の死を受け入れていないのでしょうか

2年前に、友人が病気で亡くなりました。 他の友人も交えて仲が良かったので、友人(以下A氏)が友人が亡くなった(亡くなった友人はB氏)3ヶ月後位に、B氏の母親に電話で、「B氏にお線香をあげたい」と言ったら、B氏の母親は「辛いので来ないで欲しい」と言われました。 A氏と2人でやり取りして、B氏の母親にお花とB氏が元気だった頃の写真と寄せ書きを送りました。 B氏の母親は喜んで「ありがとうございます。B氏の横(納骨していなかったので骨壷)に置いておきます」という電話を頂きました。 それからB氏の母親と寒中お見舞いなどでやり取りするようになり、今年になって「B氏のお墓まいりに一緒に行きましょう(一周忌でお墓に納骨した)」という手紙を頂きました。 B氏が亡くなって2年経って、B氏の母親とお墓まいりに行きました。 墓石にはB氏の名前が書いてあり、B氏の母親は「B氏はここにいるよ。今日はお友達が来てくれたよ」と話しかけていました。 私よりも先に、B氏の母親とお墓まいりに来たA氏は「A氏はまだ居ると思ったけど、お墓を見て死んだと実感した」とB氏の母親に言ったそうです。 私はお墓を見ても、B氏の死を実感出来ず、B氏の母親からA氏の言ったことを聞いて、ただ涙が出ました。 お墓を見れば、B氏の死を実感すると思っていましたが、実感するどころか、死を信じられず、「この中には別の人がいるのではないか」とも思いました。 お墓を見ても、その方の死を実感出来ないというのは、まだB氏の死を受け入れていないのかも知れません。 このような気持ちでお墓まいりをしたことは、B氏やB氏の母親にとって、失礼になりますか? 宗教について知識不足ですが、お坊さんの視点からお答え頂けると幸いです。

有り難し有り難し 16
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