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hasunoha 問答検索結果 : 「 供養 」
検索結果: 4577件

猫につらい思いをさせ後悔が尽きません

猫につらい思いをさせたまま旅立たせてしまいました。 私が早く死なせてしまったと思っています。 子どもが生まれるまで大好きだった猫を、子どもが生まれてからは衛生面と子どものけがを心配し、邪魔者扱いしました。 子どもの世話で忙しいのを理由に、遊んでほしそうでも猫を無視しました。 あるとき、私が猫に噛まれ、病院へ通うことになりました。 それ以降、元々の猫の飼い主である夫にも怒りをぶつけ、 猫を一室に閉じ込め、私が猫と顔を合わせることはなくなりました。 それからちょうど1ヶ月後、以前から体調を崩していた猫は、 ご飯も水も取らなくなり、立てなくなり、死んでしまいました。 私は夫に、猫をどこかに引き取ってもらえないのならケージで飼ってくれと言い、 猫を入れるケージを買わせました。 夫は私に何も言わず、弱っていく猫の世話をずっとしていました。 夫が猫のことを話題にするのも嫌がりました。 私は休みの日でも子どもの世話をせず、猫のそばにいる夫に冷たくしました。 たった一度、猫を閉じ込めた部屋のドアを開けたら、猫が私に近づいてこようとし、私はすぐにドアを閉めました。その前後から猫は容体が悪くなり、3、4日後に亡くなったのです。 猫が亡くなった今も、夫は私を責めません。 猫は全部分かっていた、自分も猫の死を覚悟していたと言います。 私は猫を閉じこめ、夫にすべてを押しつけ、子どもだけをかわいがり、噛まれた傷が痛まなくなってからは同じ家にいるのに猫のことなど忘れていました。 弱っていく猫の部屋の隣で、笑って過ごしていました。 自分が鬼だったと思います。 けれど昔の写真を見ると、猫となかよくなりたくて、気を引きたくて、 猫が一番だった日々がありました。 最後に憎んだ猫を、今は影でもいいからどこかにいないかと探して涙が出ます。 もうどんなに悔いてもどうしようもないのだと、絶望的な気持ちでいます。 生きている間、噛んだことはもういいよ、私もひどいことをしてごめんなさいと 言ってあげたらよかった。 撫でてあげたらよかった。名前を呼んであげたらよかった。もう何も叶いません。 自分を責めて生きていくしかないと思っています。 どうしたらいいか分からずただ書いてしまいました。 厳しいことでも構いません、楽になりたいとも思いません。 ただ何か一言いただけたらと思います。

有り難し有り難し 62
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中期中絶後の心境

過去の相談をお読み頂ければ幸いです! 中期中絶後、色々心境の変化がありました。 彼への信頼と気持ちはクールダウンしつつありますが、心の隅で彼を好きな気持ちがある事、彼がどの様に変わり、行動で表してくれるのかという期待があります。とても複雑な心境です。 大切な生命を失う選択をしたのは私にも責任はあるので、彼を強く責めることは違う!とも思っています。ただ信じていた気持ちを裏切られた事、親の反対を押し切る事が出来ない彼の決断力無さ、自分さえ良ければいいんだなって思ってしまいます。今後の関係については、ゆっくり進めたいと思っていますが、彼とのスキンシップや妊娠、結婚に対して前向きにはなれなくなってしまい。お空に帰してしまった我が子を思うと、 自殺願望、無気力、喪失感に襲われる日々です。 生き地獄です。こんなに辛いことはありません。 そんな彼とは早く別れた方がいい。という周りの気持ちも理解しているつもりですが、頭で考えている事に気持ちが追いつかずにいます。 善悪の区別がつかなくなってしまいました。 彼から次妊娠したら産んで欲しい。気持ちの整理がつくまで結婚は待っていて欲しいと言われましたが、正直信じられません! けど、彼を突き放す勇気もない私に人生を真っ当する価値はあるのでしょうか? 死ねるのなら我が子の所へいきたいです。

有り難し有り難し 9
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悪縁を断ち切りたい

流産や不妊について、以前こちらで相談させていただいた者です。その後少しずつ立ち直りかけたところで、父が末期癌であることが分かりました。 父は健康こそが「趣味」のような人でしたので、癌であること、ある程度進行していることが分かると、精神的な苦しみは大変なものでした。絶望と怒り、痛みを訴えつつ10か月間闘病し、去年他界しました。そういう父でしたので最後まで末期であることは言えませんでした。余命はそれほど長くないということを隠しながら、母と共に父を励まし、付き添い、看病し、とてもつらかったです。 このため、私は昨年ようやく再就職した会社を再び辞めざるを得ませんでした。今は、夫の仕事もあまりうまく行っておらず、近いうちに会社を辞めることになるかもしれません。母は広い家に一人で寂しく暮らしています。 流産、家族の死、失業など、悲しいことや苦しいことが続いて、心が折れてしまいそうになります。このまま歩いていてもこの先は真っ暗な淵なのではないかという気持ちに襲われることもあります。 こういう悪循環というか、悪運みたいなものは断ち切ってしまうことなどできないのでしょうか? ご助言いただければうれしいです。

有り難し有り難し 28
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どこにも母がいないという事実が心を壊死させる

母が亡くなって、早いもので8ヶ月が過ぎ、間も無く1周忌の準備を始める。 気丈にあれと、誰に言われるわけでもなく、いつも以上に行動的な日々を送り、疲れ、途方に暮れ、また気を取り直し、悲しくなり、明るく笑い。 もうあたしの心は、壊れてしまいそうです。作り笑いも、根っからの笑いと思えるものには紗がかかり。朝目覚めて毎日、ああ、母は居ないんだなと確認し。 実在していたことすら危うい自分の意識と、二度と会えない事実から自分の心を守ろうとしてかの回避行動としては、悲しみから意識を反らし、なるべく気にしないように、悲しいことになるべく蓋をして今まで来た。淡々と、仕方ない、思い出さない、写真もあまり見ない。感謝や後悔や、それらもなるべく頭から追い出して。 でも、体調の変化で毎月決まって悲しい波が押し寄せる。私は、自分のために自分を生きれていない。母のために生きてきたのだったろうと思う。今は子供と父のために。家族が居なかったら生きているか?自分が生きたいと思えて毎日を過ごせて居ない。仕事も毎日の日々も義務のようで、心が休まらない。いつも自分の頭の中の自分とモヤモヤ会話して。心が壊死してしまったような感じに至りました。 どうしたら、自分で自分を大切に自分のために生きられるのだろう?この喪失感は、いつか救われることはあるのだろうか? 時々猛烈に苦しくなる。 母が生きて居たことが信じられない。 母が居なくなったことも信じられない。 そして、全ての事実は理解している。 あたしの心は、大丈夫なのかな。

有り難し有り難し 33
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成仏できるのか

5年余りの闘病の末 62歳で主人が亡くなりました たくさんの病気を抱えながらの治療に 病院ドクター スタッフのみんさんには 細かい配慮も頂き 誠実に治療 対応して頂きました 病院で最期を迎えましたが 大量の吐血という その最期の姿が 余りにも壮絶で 今も 妻である私の頭から離れません 何度も恐ろしい 残酷な場面を思い出し 怖くて眠れません 結婚生活の中には しわせな事もいっぱいあったのに この最期の 悲しくかわいそうな姿に 今までの楽しい事も 全て奪われ消えてしまいそうです 病態のひとつであることは わかっています 精一杯ご尽力頂き 私も精一杯寄り添ってきたつもりです ですが 吐血をしながらも なにか言いたそうだったのに 言葉にもならず 私は聞きとることができませんでした 最期 主人が言いたかったことは なんだったのか 最期を看取ったのは 私だけだったのに 主人が言い残したかったことを 聞いてあげれなかったことが残念で 悔しくてなりません たくさんの方々に ご尽力頂き 大変大変感謝もしています 身体も限界で 充分がんばったとは思いますが もっともっと 生きたかったんだと思いますし 最期は 静かに迎えてほしかったです 壮絶な最期になってしまって 主人は成仏できるのでしょうか 大切な人を失うことを どのように捉えたらいいのか 妻である私は どのような心でいれば 主人は成仏できるのでしょうか どうかアドバイスをよろしくお願いいたします

有り難し有り難し 30
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死んだおばあちゃんに会いたい

死んだおばあちゃんに会いたいです。 私は今大学生、持病も寛解していますが、人生上手くいかず疲れてしまいました。そんな中数年前に亡くなったばあちゃんのことを思い出しました。 ばあちゃんはいつも私の味方で私が幼い頃は公園に連れてってくれたり、私の病気が酷い時は母に変わりずっと一緒に居てくれました。そんなばあちゃんがある暑い夏の日孤独死していたのです。2週間前に元気だったはずのばあちゃんがもう見つかった頃には死後10日ほどでした。1人で死なせてしまったこと誰にも看取られず死んでしまったこと、そして何より死後数日が経ってしまっていたこと悔やんでも悔やみきれません。 そんなばあちゃんに今会いたくて会いたくて仕方ありません。この気持ちどうすればいいでしょうか?どう考えれば気持ちに落とし前付けられるでしょうか? そしてばあちゃんの人生は幸せだったのか。母親に聞いたところ苦労が多かった様で死に方もこんな死に方で人生って不公平なものだと悲観的になってしまいます。 会えるなら会いたいし、話せるなら話したい。謝れるなら謝りたいし、感謝を伝えられるなら伝えたいです。伝えられる方法ありますか?

有り難し有り難し 28
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昔、体験した不可解な体験について

私が霊の存在を信じる原因になった小学生の頃にUSJ近くのとあるホテルで体験した不可解な体験です。 私は家族旅行でそこに泊まる事になったのですが深夜に目が覚めました。私はふと、浴室の方の明かりが点いていたのが気になりました。 浴室には誰かが入っているようでシャワーの音がしていたのです。その時は母親が入っていると思いました。しかし、横を見ると両親は寝ていました。 私はその時点で怖かったのですが浴室から目が離せませんでした。しばらくすると、浴室の扉が開き中からバスローブ?を身にまとった女性が出てきました。女性はゆっくりと私達の寝ている部屋へと入ってきます。まだ幼かった私はその女性を(あれはお母さんだ。あれはお母さんだ)と頭の中で必死に唱えて現実逃避をしました。しかしその女性は私のベットの後部まで来たので私は目を瞑りました。 でも、やはり気になるものでして目を開けてしまったんです。その女性はもう、私の枕元に立っていました。 もうそこまで来ると目線をそらせませんでした。そして、女性はゆっくりと前屈みになって私の顔を覗き込んできたのです。その女性の顔は母親の顔ではなく目の部分はポッカリと穴が開いたように真っ暗で見えませんでした。 そこで、私の意識は無くなり翌朝、目が覚め母親に夜に風呂に入っていたかと質問しましたが答えはNOでした。 この一件後私は霊の存在を信じるようになったのですが今でもこの体験は私の頭から離れません・・・。 私を覗き込んできた時の女性の顔は今でも鮮明に思い出せます。 一言でこの体験を言い表すなら恐怖です。 霊の存在を信じさせてくれた面では今思えば体験できて良かったと思ってはいますがやはり怖いです。 そこでお坊さんの皆様にお聞きしたいです。 この女性は何故、私の目の前に現れたのでしょうか・・・? 何かがしたかったのか?何か伝えたかった事があったのでしょうか?この体験自体なぜ体験したのか今だに分からず考えてしまうのです。 どうかお坊さんのお考えを教えてください。

有り難し有り難し 55
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2024/12/18

赤ちゃんを亡くしてから人を妬んでしまう

 こんにちは。  先日、出産時に赤ちゃんを亡くしました。 妊娠の経過はとても順調で何の問題もなかったのに、突然のことでした。  直後は、ごめんねという気持ちで一杯でしたが、お経をあげてもらいました。  また、赤ちゃんは天国でお地蔵様が抱っこして下さると聞き、今まで仏教に興味の無かった私が沢山お寺に行き、仏様やお地蔵さまに「どうか明るく暖かい所で赤ちゃんを沢山抱っこしてください」と泣きながらお願いしたことで、「赤ちゃんは今はもう苦しくないんだな。幸せなところにいるんだな」と思うことができ、罪悪感のようなものは薄まりつつあります。  仏様やお地蔵様のお顔を心からしっかり見たのは初めてでしたが、とても優しい顔で…赤ちゃんは大丈夫ですよと言ってくれている気がして、救われました。  ところが、今は別の感情に苦しんでいます。それは、周りを嫉む気持ちや、おいてけぼりになった気持ちです。  周囲の友人は出産ラッシュで幸せそうです。反対に自分はどん底にいます。本当は赤ちゃんを抱っこしているはずだったのに、部屋で1人でいる。 「私も幸せになるはずだったのに、なぜ」 「みんな幸せになってしまって、自分だけ取り残された」 「不幸で可哀想なやつだと見下されているかもしれない」 「みんなずるい。死産してしまえばいい」 心が真っ黒になってしまいます…  友人の赤ちゃんと私の赤ちゃんは別で、友人が幸せを奪ったわけではない。もしも次に妊娠して無事産まれれば、自分も同じように幸せになれるかもしれない。  それは分かってるのに、黒い気持ちに支配されてしまいます。  昔から赤ちゃんが好きで、赤ちゃんのいる生活を思い描いてきたから、特に想いが強く、それを何の問題もなく持っている友人たちが、うらやましくて仕方ありません。  これまで満たされた人生を送ってきて、 競争心の薄い人間だったので、今まで人を妬んだり、比較して苦しんだことは少なかったです。  だからこそ、突然そのような気持ちに支配されて、どうしていいか分かりません。  人を妬む気持ちには、どう折り合いをつければいいでしょうか。  また、自分が本当に欲しかったものへの執着は、どうすれば手放せますか。  黒い気持ちがでたときに唱えられるような、いい考え方や捉え方、言葉などがあれば、教えてください。

有り難し有り難し 9
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