お坊さんの修行の世界でも、パワハラ、モラハラ、イジメがあるなら娑婆の世界は、そんなんあって当たり前ですね。 パワハラ坊主がビシバシ後輩を痛めつけといて、なんか行事があろう時には「お釈迦様の教えは〜」なんて説法しているのを想像すると、チャンチャラおかしいわ、そう思ってしまいます。 ハスノハのお坊さんは大丈夫とは思うけど、パワハラ坊主じゃないですよね?
将来お坊さんになりたいハルソラと申します。 お坊さんをしていく上で仏教への信心と学びが必須なのは言うまでもありませんが、それ以外で必要なスキル(またはあった方が良い)はありますか? 法事、お葬式、お彼岸での移動に車が必要そうですし、情報化社会においてはパソコン操作のスキルも求められそう。 御朱印を書いたり、お知らせの掲示をするのに書道の腕前もあった方がよいですよね。 普通の社会生活をしているうちに、なるべく身に付けたいと思いますが、お坊さんになってから必要に応じて身につけるのもあり何でしょうか? ご教授よろしくお願い致します。
妻が40代で病気で他界しました。 生まれた時から日蓮宗に馴染んでいて、影響を受け子供も日蓮のお経が好きになりました。 葬儀は、私の家系、まだ私の父がおり、丸く収めるために浄土真宗にしました。 49日、仏壇も浄土真宗にする予定です。 しかし葬儀後、子供達(6歳児、12歳児)から、49日以降は浄土真宗にしようといわれ、反対されたのです。 私も日蓮にするべきだったのではと、引っかかっており、次からは日蓮でいこうと考えております。 すでに仏壇まで、浄土真宗にしてしまったのに、日蓮宗の方に頼んでお経は読んでいただけるのでしょうか?無理ならどうすればいいでしょうか。 納骨場所も日蓮宗にするか、親にしたがうかまよい、自分にとって何が大切にすべきか訳が分からなくなってます。 その間にも日蓮宗の自宅近くの納骨場所は予約がいっぱいになっていくし、子供達の希望を叶えてやりたいのに、父が納得せず、このまま家族関係が崩れるのではと心配です。 妻のためには、自宅近くの子供達が参りしやすい日蓮宗の納骨場所が一番いいと思うのですが、父がまだ健在なので、簡単に即決できず、浄土真宗のお寺の納骨場所にしようか迷います。 浄土真宗のお寺場合、父と妻が後は一緒に入ることになり、浄土真宗と日蓮宗のお経を二人に聞かせることになります。 これは大丈夫でしょうか。無理ならどうすればいいでしょうか。 妻が亡くなり1年経ちません。 私達家族は、毎日家族揃って浄土真宗の仏壇に妻が覚えようとしていた、日蓮宗のお経を流しながら手を合わして毎日暮らしています。 納骨って気にならないんですが、場所がなくなっていくため、毎日悩んでいます。
この世で生きていくのは修行だと聞きましたが、天国へ行くには、どのような生き方をすれば良いのでしょうか。 人にはそれぞれ、良い部分や悪い部分があって、完璧な人など存在しないと思います。 考え方も様々で、気の合う人や合わない人がいて、人間関係は決して簡単ではないです。 でも最終的に自分のためになるなら、あらゆる努力をしたいと思います。 そもそも、この考え方からして、いけない事かもしれませんが… 人間関係だけでなく、生活の仕方、心の持ち方など、アドバイスをいただけると有り難いたいです。 どうぞよろしくお願い致します。 幼稚な質問で申し訳ありません。
お忙しい時にすいません。 うちの親はある宗教属しています。 朝は必ずお仏壇の前に 何かあると、必ず仏様に報告します。 ことある事に勤行?を唱えろと叱られます。 お婆ちゃんや、私の周りのその宗教の方は皆言います。 ですが、私は失礼ながらその宗教が胡散臭い気がして仕方がありません。寧ろ嫌いです。 ことある事に、勤行を唱えればそれだけで世界平和を祷れるだとか 前世の業を取り除けるだとか…信憑性にかけると言いますか… 私はどうしたらいいのでしょうか? 親に習い、その宗教を信じるべきなのでしょうか? それとも、親と喧嘩になるのを覚悟ではっきり言うべきなのでしょうか?
お坊さんは、現代日本を襲う少子化、人口減少をどのように捉えているでしょうか。仏教の衰退にも関わる重大な問題だと思うのですが、移民を受け入れて、彼らに仏教の未来を託すべきでしょうか。
菩提寺は新潟県五泉市にある曹洞宗のお寺です。 家は大正8年頃の祖父の代に東京に移っており、現在は墓があるだけの状況です。 曾祖父が地域の名士だったこともあり、そこのお寺の三大檀家の一つとして扱われています。 先の住職がお亡くなりになった時の葬儀では高い位置に座らされています。 墓は父の代に建て直したもので、そこのお寺の墓地の中でも立派なものです。 過去帳によりますと9代前からの祖先が葬られて居る様です。 骨壺は納められて居らず、納骨の時には骨壺から遺灰をザッと墓の中に落とし込む形です。 家が東京に移ってから現在までに6人が東京で亡くなり、新潟に納められています。 一番古くは大正10年に父の兄(中学生)、その後祖父、私の産みの母、祖母、父、継母の順で父が平成7年、継母が平成24年です。 最近、墓を「目黒御廟」に移そうかと考える様になり、その際、墓じまいをして菩提寺との縁を切るのか、或いは東京で亡くなった6人だけを向こうの墓からこちらに移すか、或いは更に減らして今後年忌法要を行うことになる父と継母だけを移すかと言う選択肢で悩んでいます。 父と継母の年忌法要が未だ続きますがそれを菩提寺でやって貰うのは、もうしんどいと言う感じです。 菩提寺への話の持って行き方、移すに際しての御礼の考え方、3大檀家の残る二家の方への話し方等々ご助言ください。
また投稿させていただきます。先日東京の叔母が夜お風呂場で亡くなったと知らされました。その叔母の息子さんから私に電話がかかってきて、今月の26日に納骨が決まったよ。だけど鹿児島の実家の祖父母の墓にも少し分骨したいけど分骨ってしても良いのかなと私に聞いてきました。その時私は分骨はしない方がいいと思うよ。祖父母の墓に入れてやりたい気持ちは分かるけどずっと東京にいて東京にお墓があるからそのまま分骨しないで東京の墓に入れてあげたらと言いました。私も昔実家にいた頃に分骨はしない方がいいと聞かされてました。やっぱり分骨しない方がいいんですかね❓それとも生まれ故郷の鹿児島の祖父母の墓にも分骨してあげた方がいいのでしょうか❓教えて頂ければ幸いです
小学生の頃、ひいおばあさんをなくしました。 私がまだ幼かったのに優しくしてくれて、親戚みんなから愛されてなくなった方です。 とても綺麗な戒名を付けられていました。 小学生ながら咄嗟にメモを取り、たまに思い出すくらいに美しい名前でした。 もう親族とは会わないし私は信仰がないので関係ないのかも知れませんが、自分にもし戒名が付けられるならどんな風に付けられるのか疑問に思いました。 生前戒名を希望するという意味ではないのですが、どのように決められるものなのでしょうか。 いつか素敵なおばあさんになれたとき、ひいおばあさんのように綺麗な名前をつけられたらいいのにと思い質問しました。
家を建てるので、150年くらいの古い倉を解体したいと思います。 解体すると悪いこと祟りや呪い?とかがあったりしますか?先祖の念とか気になります。 中は、もう処分して何も入っていません。 倉事態は、結構傷んでいます二階ありますが階段は、壊れていて上がれません、 そして二階も下から見上げると穴が開いていて、もし上がれたとしても、底が抜けるかもです。
天台宗では念仏は唱えられるようですが、浄土系の経典、浄土三部経「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」は唱えられるのでしょうか。 また、大悲心陀羅尼は唱えられるのでしょうか。 また、教義上唱えられない場合は、唱えても良いものでしょうか。
私は死後の世界は必ずあると思います。魂の存在も信じています。昔からそれが当たり前だと思って生きてきました。 自殺で死んだ彼は、死後の世界で苦しんでいないか心配です。 インターネットでいっぱい調べました。自殺で死んだ人は死後も苦しむ、地獄にいく、ずっと孤独など見ました。彼にはせめて死後の世界では幸せに暮らして欲しいです。一方、彼の後を追いたいという気持ちもあります。これもまた、調べてみると後を追っても彼には会えないとばかり出てきます。では自分の寿命を全うしないと会えないのですか?やはり自殺は死後も苦しむのでしょうか?
私はアメリカに留学した際に、ホストファミリーに連れられて毎週キリスト教の教会に通っていました。10ヶ月もの間毎週行ってみていましたが、キリスト教やその神を信じているか、と聞かれたら、今もなおその答えは、いいえです。そこで私の、周りの宗教は何なのか、分からなくなってしまいました。 ここで回答してくださっている僧の方々はもちろん仏教徒だと分かるのですが、日本人のどこまでが仏教徒なのでしょうか。何をしていれば、何を信じていれば、そんな基準は、仏教にはあるのでしょうか。
はじめまして お寺さんのことでお伺いしたいことがあるのですが、なにぶん周りに相談できるような人がおらずよくわからない世界ですので、藁にも縋る思いでメッセージさせていただきました。 ある田舎のお寺さんでのことですが、お寺を住居として坊守を勤めている方にお家賃は発生するのでしょうか? 経緯はこうです。 和尚さん(A)とその奥さん(B)が田舎のお寺に勤めていたのですが、夫である和尚さん(A)が若くして亡くなりました。 田舎のお寺ということもあって次の和尚さんがすぐには見つからず、親戚の和尚さんが掛け持ちで通っていただいていました。坊守さんはお寺のことをよく分かっている奥さん(B)が引き続き行っていました。 その後、新しい和尚さんも決まったのですが、その人に奥さんはおらず(B)さんがずっとお寺さんに住み込みでお手伝いをしていました。 何年か経ち、(B)さんも高齢になってきたので家族の元へ行こうかという時に今までの住み込み分の家賃を払えと言われました。 ちなみに和尚さん(A)が亡くなって以降、家賃が必要という旨の話は無く、もちろん契約書なんかもありません。出る時になって初めて言われたのです。和尚さん(A)が亡くなってから15年ぐらいの間の家賃で数百万請求されています。 これは支払う義務があるのでしょうか? いきなり不躾で申し訳ありません。 もしお手数でなければアドバイスをお願いします。
僕は真宗徒なのですが、法義が薄い土地なので、周りには真宗の人は誰もいません。 そこで質問なんですが、現代日本でぶっちゃけどれぐらいの人が信心決定してるんでしょうか?体感で教えてくださると助かります お坊さんも信じてないみたいな話も聞きますが… ちなみに僕は信心頂いてます
私の実家は、曹洞宗のお寺さんの檀家です。 そのお寺さんに、私自身の戒名をお願いしようと考えています。 しかし、周りから「まだ早い」と言われました。 (私は37歳の既婚です) (主人と、私の実家の家族に「まだ早い」と言われました) 私が戒名を今お願いしようと思ったのには 2つの理由(タイミング)がありました。 ・母の三十三回忌が今年である ・母が亡くなった年齢と同じ年齢になった ちなみに、主人の家族には戒名の話(相談)はしておりません。 30代で戒名をお願いするのは早いのでしょうか? そして既婚であるが故に悩んでいることがあります。 それは、 実家の菩提寺(檀家であるお寺さん)は 私が小さい頃から仏教のことを教えてくださった 大切な存在なので、 ・戒名をお願いする事 も、 ・亡くなった時のお墓 も、そのお寺さんにしたいのです しかし、私は嫁です。嫁ぎ先ではなく、 実家のお寺さんにお願いすることは いけないことなのでしょうか? 拙い文章で申し訳ありません ①戒名をお願いする年齢 ②嫁の立場で実家のお寺さんにお願いする事 についてご教示いただけると幸いです よろしくお願いいたします
仏教では詭弁にひっかからないためにどういう方法を教えていますか? 昔から詭弁を使って間違ったことを真実だと思わせようとしている人はいたと思うので、お釈迦さんは詭弁を見抜く方法を弟子に教えていたと思うのですが
初めまして。 お忙しいところ申し訳ございません。 つらくて、どうしようもなくて、ただ吐き出させていただきたくて、書き込ませていただきました。 以前から、ずっとご相談させていただきたいことがいくつかあり、登録させていただいておりましたが、 今はただ、自殺したい自分を懸命に止めるために書いています。 独り言になってしまい、相談内容にならず申し訳ありません。 他人様から見れば、本当にくだらないことです。 私は死んだ方がいい存在です。また、私が死ねば喜ぶ人がたくさんいます。 死んでしまえばいいのですが、(私事ですが)昨年若くして病気で亡くした愛猫が、存命中に3度も、必死になって泣き縋って私の自殺を止めてくれましたので、自殺もできません… 自殺は自分で自分を「殺す」ことだから。また、私の命を助けてくれた亡き愛猫のためにも、自殺してはいけない… 今は落ち込みすぎていて、気力が出ないこと、気持ちが混乱しすぎて、順を追って、きちんとお話しできそうもないこと(暴風雨の中にいるような気持ちです)、また怒りや混乱を我慢しすぎて血圧が急に上がってしまったようで、眩暈など体調がおかしくなってしまったため、具体的な内容を書けず、また「質問」にもなっておらず、大変申し訳ございません…
近年、過去には余り無かった仏事の仏壇じまいや墓じまいが有ります。 仏壇は『閉眼法要』、『閉扉法要』とかでしょうが、墓じまいはどう言うんでしょうか? 『閉廟法要』とか位しか思いつきません。 正しい名称を教えてください。 ご教示宜しくお願い致します
私は現在、30代後半です。 40才からの生き方を模索しています。 私の人生は10代は学力不振、20代はうつ病、30代は仕事を転々と紆余曲折、迷走してまいりました。 そういった中でも20代からのスポーツへの取り組み、30代からの神道仏教の学びと経験は分かりやすい成功ではないものの心身の健康、人格の向上と心の平穏を得る事ができまして、ある一定の価値を感じています。 しかしながらもうすぐ40才にして実家暮らし独身の派遣社員ではなんとも心許なく、これからの生き方に一抹の不安を感じます。 仏教に感銘を受けているので40才から出家、修業してお坊さんになる道を考えています。 出家して修業するとなれば、一般社会よりも厳しいであろうと覚悟はしています。 40才からお坊さんになれますか?お坊さんになる方法を教えて下さい。 よろしくお願い致します。