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hasunoha 問答検索結果 : 「 煩悩 」
検索結果: 3762件

死別 後悔、 生きる事はこんなにつらいのか?

今年の4月初めに自宅で介護中、祖母が昼食を誤嚥して窒息し翌日亡くなりました。  その日はお花見に行こうと約束していたのに …あまりにも突然の出来事でした。   私はおばあちゃん子でしたので、祖母を喪ってからというもの、すっかり気力をなくして涙にくれ、それからしばらくすると、悲しみと一緒に自責の念に激しく駆られるようになりました。(現在は心を病んで心療内科に通院しています。) 考える事はいつもそもそも論ばかり、 祖母が元気な時から、そばにいる事が一番多かった孫の私だから、 なおさら助けられた事があったのではないかと、 過去をさかのぼっては思い悩むのです。 もう変える事など出来ないのは心では分かっているのですが…。 悔しさで頭がいっぱいになり、胸が張り裂けそうになります。   愛する人を亡くしてからしか、あとからでしか気づかないというのは  人間の宿命なのでしょうか? 寿命だったと諦めるにも諦めきれません。 不慮の事故であってもその人の運命なのですか? これからの私には、老いゆく家族との死別が待っているだろうという恐怖と、 人生の楽しみはもう減っていくだけだという絶望しか無いので 長生きするのは苦しみでしかありません。 愛する人との死別がこれほどまでにつらいなら誰よりも早く死にたいとさえ思います。 以前は死ぬ事が怖かったのに、今は逆に生きる事が怖いのです。 自分がもし死んでも、もう祖母やご先祖様と再会できるなんて事は思ってはいませんが。 今はただ、生きて後悔で苦しみたくないから記憶を消すために無になりたいのです。 如何ともし難いところですが、少しでも前向きになれるお言葉をいただけたらありがたく思います。長文失礼しました。

有り難し有り難し 84
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『とらわれない心』について教えてください。

3年位前に、お坊様がTVで『とらわれない心が大事』と話されてるのを観てから、ずっと気になっていることがあります。 『とらわれない心』というのは、自分の欲や我を手放して、人と争わずおだやかに生きること、ではないかと私なりに受け止めました。 でもそれで、『私はこうしたい、こうなりたい』という目標があって、人と意見がちがったら、『私はこうしたい』と言うのは『とらわれている』のでしょうか? 意見がちがうときは自分か相手が譲るか、全く別の案を見つけるかだと思うのですが、いつも自分が譲るスタンスなら私はその人のいいなりになってしまいそうです。 自分の欲というのは望みであり、自分のあかしでもあると思います。 その欲=望みがなるべく汚いものではなく、きれいなものであるように願っていますが、他人から見たら『我』でしかないのでしょうか? とらわれない=思い通りになるようコントロールしない、ということだとしたら、将来に期待はしないでただのぬけがらになってしまわないか疑問です。 私も未熟ながら、人にやさしくありたいと願っています。相手にとって安らげる存在になりたいです。自分と相手をともに大切にして、なおかつ『とらわれない』境地って私にはまだわかりません。 どうか、私に道を説いてくださいますよう、お願い申し上げます。

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幸せって何なのでしょうか

私には交際4年になる彼がいます。 今回のご相談は、その彼との将来についてです。 私の彼は10歳年上のバツイチ子持ちです。 (お子さんは前妻が引き取っています) 端的に申し上げますと、彼のその過去を受け入れることができません。 彼のことを、とても愛しています。人生で初めてこんなにも誰かを想うことができました。 付き合ってきた4年間、何度も別れを決意しました。でも、結局は彼の元に戻ってしまうのです。 彼と1年あまり別れていたこともあります。その間別の恋人ができたこともありました。ですが、恋をしているというよりは、結婚を考えて条件のみで相手を見つけたお見合いのようなもので、相手には本当に申し訳なく思っていますが一度も恋はできず、傷つけただけでおわってしまいました。 結局は彼でなければだめなんだと思い知らされただけの1年間でした。 彼は、初婚の私に対し自分の過去に引け目を感じていて、その分本当に大切にしてくれます。とても愛してくれていると伝わります。 私も彼が心から大好きです。でも、辛いのです。この感情は理屈ではないのです。 どこかに彼の血を分けた子どもがいるのかと思うと、気が狂いそうになります。彼がそれとなく話した子どものエピソードや結婚の話がずっと頭から離れません。好きな気持ちと比例して、その何倍も苦しいのです。 彼との結婚を一瞬決意できたこともありました。まわりの、ご主人が乱暴だったり浮気をしていたりあまり幸せでない結婚生活を送っている友人に比べ、受け入れられない過去があってもこんなにも大切にしてくれる彼と結婚した方が幸せなのではないかと思ったりもしました。でも、それでは一生自分より不幸な人を探し続ける人生です。 そして何よりも、彼を両親に紹介できません。 大切に大切に育ててくれた両親に、心配をかけたくないのです。親心は想像でしかありませんが、なるべく苦労のない幸せな人生を送ってほしいと思っているに違いありません。 彼なくしては、幸せはあり得ないと思っています。でも、辛く苦しいです。 彼じゃない人であれは、苦しくも辛くもなく(結果はわかりませんが)、でもこんなにも恋をすることももうきっとありません。 もう自分にとって何が幸せなのかが分かりません。 長文になり申し訳ありません。 ご回答お待ちしております。

有り難し有り難し 68
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お寺について

お寺についていろいろ教えて下さい。 こちらのサイトで同じような内容で何度か相談させていただいた時に「くよくよしてないで説法でも聞きに行ってみては」と言われました。 正直常に小さい子供を抱えている状態で、場所見知り・人見知りがあり知らない場所や人がいると泣き叫ぶ子供を連れて行く勇気がなく、まだ足を運べていません。 なのでやはり悩みは尽きず、いっぱいいっぱいになってきています。 そこで質問なのですが、説法というのは一体どういうものなのでしょうか? 大小関わらず全てのお寺でやっているものなのですか? 悩んでないで説法を聞きに行けと言われましたが、説法で悩みが解決するようなものなのでしょうか? 他にも説法を聞きに来ている方もいらっしゃると思いますが、永遠に泣き続けるような子供を連れててもいいのでしょうか? そしてこれは個人的な意見なのですが、私が関わったお寺はそんなに多くはありませんが、正直儲け主義・自己中心的なお寺ばかりだったように感じています。 1 保育園併設のお寺でしたが、住職さんのお誕生日には園児1人につき1000円を徴収し、かなり高めのお誕生日プレゼントを購入しないといけない。他にも何かと金銭を徴収されることが多かったです。 2 こちらも保育園併設のお寺でしたが、私の妹が保育園の先生として就職した際なぜか住職さんの奥様に嫌われたらしくイビリ倒されて心を病んで泣く泣く退職。 3 母方の祖父のお葬式などでお世話になったお寺でしたが、母が「お葬式が初めてでお布施にいくら包ませていただいたらいいか分からないので、申し訳ないのですが平均的なお値段を教えていただきたい」と申し出たところ、平均の2~3倍の値段を言われていました(後で他の方に聞いたみたいです)。 といった感じで、あまりお寺にいいイメージがありません。 できればこういったお寺ではなく、こちらのサイトで色々な方々の相談を親身になって聞いてくださっているような住職さんから説法を聞きたいと思っています。 何か見極める方法などありますでしょうか?

有り難し有り難し 58
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お坊さんを蛸と掛け合わせて、笑いを取るような掛け軸について

どうしても意味・ユーモア感覚が分からないので、ここでお坊さんに直接質問をさせて頂きます。 いま私は、とある掛け軸について研究をしています。ですが、私は仏教の世界を深く知るようになったのは、つい最近になってからであり、そのせいで仏教世界のユーモアが分かりません。 研究している掛け軸には、掛け軸の下の方に、『十六羅漢のうち十人が水が足首らへんまでしか来ていない海(若しくは川)の浅瀬を渡って、上の方を見上げている』描写があり、左上の方に、『龍頭観音と思われる龍が一匹と、龍の口らへんに、モワモワした煙と共に、お花のような(?)ものを手に持っている着物を着た女性が一人立っている』描写があります。更に、この空の方へ登っている龍には、十六羅漢のうち六人が乗っており、そのうちの一人が釣り糸みたいなもので蛸を海から釣っています。 十六羅漢が川ではなく、海を渡っているのは、蛸が海にしか生息していないからという理由で、海だと推測しました。 この絵には漢詩が付いているのですが、以下のようなものです: 是秋釈子袿第響 無転十六蛸入道 為老先生博祭無事居楽 遊印には→星洲晩漁 と書いてあるはずなのですが(あまりきちんと読めませんでした)、漢詩の意味は全て分かりませんが、ここには蛸入道としっかり書いてあります。 以上のことから、私は、蛸とお坊さんの頭を掛け合わせて、笑いを取るような絵だと見受けました。 が、私の感性では、釈迦の弟子たちで笑いを取るという感覚が全く分からないのですが、ひと昔の日本では(明治・大正あたり)、このようなことはよく起こり得たのでしょうか?またこのような、ブラックユーモア的な掛け軸は、よくあったのですか? ちなみに、私の推測はあっていますでしょうか?(蛸とお坊さんの頭を掛け合わせることで、笑いをとるという感覚) 若しくは、他に何か意味があるのでしょうか? 漢詩の意味も分かりませんが、このセンスが本当に意味が分からなくて、大変困っております。どなたか詳しく説明して頂けますと幸いです。 掛け軸の絵を写真で添付できないので、絵そのもののイメージがし辛いと思いますが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。 ちなみに、この掛け軸は、近代に描かれました。

有り難し有り難し 38
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心から人を恨んでいます。どうしたら許すことができますか?

私には12歳離れた弟がいます。 弟とは異父きょうだいです。 弟の父親は、薬物で何度も捕まったり、お酒を飲んでは家で暴れて物を壊したりしていました。 根は優しくて良い人でした。 私がどんなに酷いことを言っても怒らず、お酒を飲んで暴れても、母や私を傷つけることはありませんでした。 しかし私は、それでもその人のことを恨んでいました。今も恨んでいます。 その人が今もどこかで日常を笑って過ごしているんだと思うと、怒りで涙が出てきます。 理由は、弟の妊娠や再婚を母が私に報告してくれなかったこと。自分達は傷つけられはしなくても、暴れている姿はとても恐怖で、今でも大きな物音や扉を激しくノックする音がトラウマだということ。薬物所持を通報出来なかった罪悪感。 だから私は、計画的に、その人と母親を離婚させてしまいました。その時、弟はまだ1歳にもなっていませんでした。 まだ小学生だった私は、弟の父親が写っている写真を、全て捨ててしまいました。 なので弟は、父親の顔さえ知りません。 母の意向で、弟には「父親は死んだ」と、伝えてあります。 弟は私と正反対の性格で、私には言えないようなことを言うことができます。 私には出来ないことが出来ます。 私は小さい頃に母親から育児放棄をされていたので、きちんと愛されている弟に嫉妬しています。 同時に、理解し合うことができなくて、話す度に怒りをおぼえます。 支離滅裂な上に長くなりまして申し訳ありません。 そんな過去があり、私は何度も、まだ母と弟の父親が離婚する前、母と弟とその父親を殺そうとしたことがあります。 弟の首を絞めようとしたり、睡眠薬を飲ませて刺そうとしたり…… もう離婚して、母と弟と3人で暮らし始めて7年ほどになります。 未だに弟の父親と、弟への恨みが消えません。弟の父親の住所も知っています。いつ殺してしまうか分かりません。 こんなにも人を恨んでいる自分が、1番大嫌いで、ずっと苦しいままです。 他にも家庭の苦しい事情は絶えません。 これ以上耐えられません。 でもまずは、どうしたら弟の父親、および弟への恨みや罪悪感を無くすことができますでしょうか? こんなこと誰にも言うことができません。 ご回答をお待ちしております。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 89
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「アブラハムの宗教の唯一神」の仏教的解釈を教えてください。

仏教は世界に名だたる宗教ですが、最も信者が多い宗教は何と言ってもキリスト教、ですよね?またイスラム教もかなりの影響力がありますし、それらの始祖たるユダヤ教も、アメリカの政経界に強い影響力を依然として持っていると聞きます。 そんな世界的な影響力の持つ、これら一神教が冠する「アブラハムの宗教の唯一神」に対して、仏教がなんのアプローチもした事がないとは個人的には考えにくいのですが、なんらかの仏教的解釈を加えて、仏教の中での位置づけ、みたいなものが決まっていたりするのでしょうか? ヒンドゥー教や神道などの多神教の神々を仏教の中に取り込んでいくのは、日本でも本地垂迹の歴史等があったように、既にやられて来たことですし、個人的にもそこまで波風が立つような事ではないと思います。 が、流石に「アブラハムの宗教の唯一神」を仏教の中に位置づけようとすると、各一神教徒から「そうじゃねーよ唯一神なんだよ!仏の中に入れるんじゃねーよ」と大バッシングが食らいそうで、なかなか難しさを感じます。 他宗教との兼ね合いの話になってはしまいますが、もし仏教として果敢に唯一神を取り込もうとした歴史や、または現役のお坊さんとして私はこう考えているなどありましたら、小生にご教授頂けたら幸いでございます。 ※最後に、小生はあくまで仏教や神道、一神教に対してはズブの素人です。質問文に根本的な間違いがあるかも知れません。その際はお手数ですがご指摘願います。

有り難し有り難し 66
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地獄が怖くて仕方ないです

また、ご質問すいません。 前にアドバイスされた通り、祖父母の仏壇にお線香を供え、子供の頃のやらかしや失敗などを手を合わせながら「ごめんなさい」と謝ったりしました。 だけど、また自分の嫌な所ばかり思い出し今度は自分の死後の心配をするようになってきました。 まだ、二十代の小娘ですが、正直に言って地獄が怖いです。 子供の頃に子供特有の残酷さと好奇心で生き物を死なせたり世話をしないで死なせてしまった貰い物のカブト虫の事を思い出したり、謝れなかった事、嘘を付いたり間違いを犯したり人を馬鹿にしたり傷つけたり、悪口や心の中で悪態をつたいり、とんでもない事を考えたり、借りた物を返さなかったりと本当に悪い事をしてきたと思うようになったりしました こっぴどく叱られたり、私自身も嫌な思いをしたり物を返してもらえなかった事もありますし、人の役に立とうとしたり良い事もした事もあると思います。 でも、自分の悪い所を思い出しその後に地獄を思い出して怖くなってきました。 昔絵や絵本で見た地獄を本当に怖がり悪い事をしたら地獄に落とされるという事に怯えていた記憶があったと思うのに、でも、大きくなってそういった感覚が薄れていき人の死に対して無関心な部分が出てきたり地獄を題材としてを扱った漫画やアニメを見てもフィクションだと思って受け流す事もありましたが地獄に行った人が鬼に身体を斬られたり責め具を受けているのを見て怖くなって目を背けた事もあります。 それらを思い出し、また罪悪感が蘇り私が死んだ後に地獄に行く事になったら・・と考えたらとても怖くなり、しかも、本やネットでは相当長い年月を罰で苦しむと書かれていたので本当に怖いです。 正直に言って地獄に行きたくありません。むしろ幽霊になってずっと現世に留まっていた方がいいんじゃ・・でも、それはそれでどうなんだ?と思考がぐるぐるとまわりました。 自分勝手だと思いますが、生前の罪を償う為とはいえ死後も痛い思いや苦しい思いをするのが嫌でたまりません。 違う事も考えようとしましたが、結局また思い出して時に心の中で絶叫したり誰か助けてと思う事もありました。 楽しいと思える事も怖く感じる時もありこの思考を止めるには一体どうすればいいでしょうか?これらの事を思い出すのは何か意味があるのでしょうか? 地獄に落ちないようにするにはどうすればいいでしょうか?

有り難し有り難し 409
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善悪とは、どう生きれば?

世の中は陰陽の関係で構成されていますよね? そこで、わたしが葛藤しているのは、善悪や幸不幸などが見る立場や目線を変えて考えると、善悪や幸不幸がコロコロ変わるという事。 例えば戦争、「武器を作る商人にとって戦争は生きていくために必要なので善」しかし「家族を無意味に殺された人達からしたら悪」このように考えるその人の主張、属しているグループ、見る立場や見る視点、価値観、人それぞれによって善悪がコロコロ変わる、それぞれの善悪の主張が目線を変えるとその立場では正しくなるんですよね。 私はみんなが共通で善だと思う世界にしたいんですよ。 でも世の中、育った環境も価値観、思想、知識も違う、千差万別、陰陽の関係で出来ているので私が人を幸せにすると、間接てきに不幸になる人も出る、もう無理じゃんと、これが、壁として出てくるんですよね。これが一つ。 二つ目が、自分を含めこの世全員の幸せと世界平和が叶って欲しい。でも人間欲がある、財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲などなど、これらがある限り世界平和は夢物語。 ならば自分の欲に忠実に生きた方が楽だし、楽しいだろうなと、自己中に生きた方が良いのではと、自暴自棄になっています。 でも、私としては来世の為にも徳分は減るような行為はしたくない、十善戒は守りたいし、経典の思想に則って生きたい。 でも、どうせ現世でみんなが幸せになるのが無理なら、俺も周りの人みたいに自己中になって現世は自分の欲を満たして過ごすかな!という欲 vs 経典に書いてあるような思想にそぐわない、徳分を損なうような事はするな、という構図になるんですよね。 我欲 vs 仏教的思想 心vs脳 これが二つ目。 長くなりましたが、利他の精神で皆んなの幸せを祈る→しかし幸せは人それぞれ、間接的に不幸を祈る事にもなる→仏教思想に矛盾が起きる→アホらしくなる→自己中になる→仏教思想に反するし、来世がろくなことにならない、となる→訳が分からなくなる。これが現状です。 私なりに考えて、利他の精神から起こった純粋な欲かどうかで、自分の欲も他人の欲も、仏教的にも矛盾せず善悪、幸不幸を決めれるのかな?と思いました、又、皆が皆幸せになれなくても、報われなくとも、努力する心が一番大事なのかなと思ったのですがどうなのでしょう。 読んだ感想でも構いません、回答お待ちしています。

有り難し有り難し 25
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男にとって出産は点?

男にとって出産は点なのでしょうか? 女にとって出産は線です。 その前もその後もずっと続いているのです。 私は子供を生まないと決めており、何でそうなったかは過去の質問やプロフィールの内容からわかって頂けると思いますが、最近夫が「今時出産で死ぬなんて数パーセント程度、交通事故で死ぬ確率の方が高い。ビビりすぎ」等と言うようなりました。 確かに医療の発達により出産時の死亡率は低くなっています。 しかしそういう問題ではないのです。 十月十日も身重でからだの自由もきかず、つわりやホルモンバランス等で苦しみ、仕事のキャリアも諦めねばならず、生むときには長時間にわたり激痛、しかも場合によっては帝王切開になったり陰部を麻酔なしでハサミでジョキジョキ切られる。 出産は全身にダメージがいくため一ヶ月は安静にしなければならないのに数時間おきに授乳で起きねばならず、寝ることすらままならない。 ホルモンバランスは更に狂い人によっては自殺。 仕事に復帰するもキャリアの挽回は容易ではなく、共働きでも育児は殆ど女がするはめになる。 女にとって子孫を残すというのは、自分の人生を犠牲にする事なのです。 セックスで気持ちよくなって、あとはいつも通りの仕事等の生活を送れる男とはわけが違うのです。 出産したらはい終わり、点ではない。 続いている、線なのです。 この事を夫に言っても「考えすぎ、うつ病じゃない?子育ては楽しいことだし、新しい命が生まれるって素晴らしいことだよ。楽しんで子育てしてる人に失礼じゃないかな」と言われてしまいました。 こんな残酷な発言あるでしょうか。 ここまで説明されておきながら。 子育ては楽しい? 新しい命が生まれることは素晴らしい? それは理想論ではないでしょうか。 ある意味他人事なのではないでしょうか。 当事者達がどれ程苦しんでいるか。 もう夫が同じ人間だと思えなくなりました。 何で結婚してしまったのだろう。 何でもっと早い段階で気が付けなかったのだろう。 結婚を決めた時の自分を止めにいきたい。 そもそも結婚するべきではなかった。 愚かすぎる自分の決断を、今さら悔やんだって遅いのに。 後悔ばかりで胸が苦しいです。 前向きになれる言葉をいただけないでしょうか。

有り難し有り難し 62
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