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検索結果: 437件

やりたいことがわからない

職場うつからよくなりかけた矢先、身内を亡くしそこから何もできず時間だけがたち何もやりたいことがなくなりました。自分の能力の限界もみえ、どうせやってもうまくいくわけない、できることなんてしれてるからやっても仕方ないと年数たつごとそう思えて気力もなくなりました。フルタイムで働いてた時も大きな会社だったので自分一人いなくなっても誰も困らないしと思いました、それに安月給だったので生活はかわらず職場うつに。 今はまだ特に健康害してないのが幸いなだけで、何を目標にいきてけばいいかわかりません。興味あったことにも興味もてず何年も時間だけがすぎてく日々。周りは結婚や転職でかわってくのに私だけずっととまったままです。 将来考えたら真っ暗、希望もありません。 いずれフルタイムの仕事に戻っても安月給のまま。とりたい資格の勉強も何年もできないまま、これは多分、資格とって仕事に直結したものがなかなかないからというのもあります、とっておけばいつか役立つ程度。 やりたいこととやれることの違いがわかると自分のできることなんてしれてるとわかるので気力もなくなります。そういうこと考えずにできた20代が1番よかったです。 これからどうやって生きてけばいいですか。 人生1度しかないのに全然楽しくないです。

有り難し有り難し 20
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感謝と後悔

母が亡くなり約半月が経ちました。 9月上旬に半身の痺れと歩行困難があり病院に行ったところ、末期の癌ですぐに入院。 母が落ち込むかもしれないと思い、年を越すのは難しいことを伝えませんでした。今思うと伝えてあげた方が良かったのかなと思います。突然亡くなり母もびっくりしているのではないかと心配です。 入院してから毎日会いに行きましたが、これは食べちゃだめ、この体勢でいた方がいいよ、とか体調が優れない母に口うるさく言ってしまった事も後悔しています。 周りの人に聞くと、母は子供の頃から今まで幸せだった事は少ないと思います。それなのに最期もこんな病気になり亡くなってしまった。 母はどんなに自分が辛くても病院の看護師さんや私達家族、周りの人全てに感謝を伝える人でした。見習わなくてはなと思います。 産まれてから23年間を母と一緒に過ごせて幸せだった、という気持ちと、心配ばかりかけて、親孝行もできなかった申し訳ない気持ちが交互に押し寄せてきてどうしたらいいのかわかりません。 亡くなる前日まで家族の心配をしていた母が成仏できるのかも心配で心配で、考え出すと止まらなくなり不安です。 まとまらない文章で申し訳ありません。 御意見を頂きたいです。

有り難し有り難し 31
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亡くなった次女はどうしてるのでしょうか

はじめまして。 今年女の子の双子を出産し、生後3ヶ月で1人を亡くしました。 妊娠中から様々なトラブルに見舞われ、緊急帝王切開で早く産まざるを得ませんでした。 かなりの早産だったため、2人とも1000g満たない小さな赤ちゃんでした。 出産直後は誕生してくれた喜びよりも、こんなに小さく産んでしまった自分を責め、この子達は無事に大きくなれるのだろうかという不安でいっぱいでした。 2人ともNICUでしばらくお世話になったのですが、長女はすくすくと大きくなり2ヶ月ほどで退院することができました。 次女はなかなか思うように大きくなれず、手術も何回も繰り返し、結局NICUを出ることなく亡くなってしまいました。 次女が亡くなった直後は、生きている長女のためにも頑張らなくちゃという気持ちで無理をしていたのかもしれません。 しかし、四十九日を過ぎたあたりから実感が湧き始め、慰めのつもりでかけられる言葉が胸を突き刺さるようになりました。 今では人に会うことが怖くなり、外に出ることもできなくなってしまいました。 元気に育ってくれている長女のためにも、一生懸命生き抜いた次女のためにも、私はしっかりとこの世を全うするつもりです。 しかし、毎日次女を思っては涙が止まらないんです。 何で他の赤ちゃんではなく次女だったのか。 私には2人を育てる器量がなかったのだろうか。 何でもっとお腹で大きく育ててあげれなかったのか。 一人で寂しくしていたらどうしよう。 いつも私たちと一緒にいてくれてるのだろうか。 また会えるのだろうか。 こんなことばかり考えてます。 次女を亡くした悲しみを乗り越えるつもりはありません。 乗り越えたいとも思いません。 ただ次女がどうしているか知りたいんです。 お願いします。

有り難し有り難し 80
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無為で日々同じ生活に耐えられない

生きにくさとは昨今よく言われる言葉ですが、今時分はその病にかかっているようです。 朝起きて、仕事に行って、帰宅して食事して、入浴して、眠る。 間にはインターネットがあり隙間はそれに費やされる。 実は私精神的な病をもう5年以上も患っておりまして、投薬はだいぶ減りましたがこの虚無感が急に襲ってきて規定量以上の薬を摂取してどうにか仮初めの安寧を得る生活を続けています。 父が亡くなってそれが加速したようにも感じています。 とにかく日々に感情が湧かない。 機械になったような無為な日々が時々心底恐ろしくなるのです。 暮らし方を変えようと地方の1次産業に従事を志しましたが、大きなハードルを越える力はスポイルされてしまっていてそれすらままなりません。 このままクラゲのような生活が続くのかと思うとますます精神にダメージが蓄積し虚脱状態が続いています。 大きなブレイクスルー(父の死さえも凌駕する)がないと打ち壊せない自分の殻なのでしょうか? それとも指で押しただけで壊れるシャボン玉のような簡単なことなのでしょうか? 今もこのことが頭を支配して仕事に対する情熱すら奪われつつあります。 ご助言頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 20
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葬式をあげてほしくない

死後の事についてご相談があります。 私は宗教という考え方やそれに基づいた慣習、イベント自体は好きですが、私自身が何かの宗教に属することは避けたいと思っています。 私の知る上では各々の宗教の考え方と私自身の観念が合うことが少ないからです。 ただし、宗教のパロディである空飛ぶスパゲッティ・モンスター教には共感いたしておりますので、自称するときはパスタファリアンを名乗っています。 そこで、私が死んだ後、葬式をあげてほしくないと思っています。 特に仏教式の葬式です。 なぜなら、戒名をいただいた時点で、仏教徒になってしまい、仏教という枠に囚われてしまうからです。 悟りも輪廻も御免被りたいです。 衛生的な観点からは火葬自体はしても構わないのですが、法律が許しませんが、できればその後はゴミ箱にでも捨ててもらって処分してもらいたいと思っています。 家族にそのことを話すと、死んだら終わりだから死後の事など心配するなと言われるのですが、そうではなく、私がそのくくりにとらわれてしまうことを決定づけられることが不服なのです。 死後の世界云々は信じておりませんが、生きているうちはそのことが囚われであり、心配であります。 ただ、信じずとも無いことの証明は極めて難しい以上、ある可能性は0ではないというのが論理であり、公理です。 (論理、公理とは数学上の意味です。) ですから、その0ではない可能性で、仏教の枠に入ることで、悟れなければ輪廻を繰り返してしまうという観念に囚われてしまっているのです。 ただし、重ねて申し上げますが、悟り自体は御免被ります。 渇愛は人間の人間たる、また、人間の動物たる所以と思います。 私は人間らしさを捨てたくはありません。 仏教に従事していらっしゃるお坊さま方には相容れない考え方かも知れませんが、これが私の中の公理です。 さて、これは私の考え方を変える努力をして見たほうが良いのでしょうか? それとも、家族を説得するようにしてみたほうが良いのでしょうか? 相談する相手を間違っているような気もしますが、意見を伺えるかもしれない機会を捨てることはないと思い、ご相談差し上げます。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 411
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仏様っている?

以前、何度か質問させていただきました。 私は信仰心が強く、仏様を信じています。 でも、祈って病気が治るならみんな死なない と言うようなご回答をいただきました。 ごもっともだと思い、見返りを求めていた 自分を反省しました!そして私は心配性です。 別の質問をしたとき、仏様を信じているから このままではいけないと、仏様がハスノハへ 導いてくださったのです。とご回答を いただきました。携帯を変えたので質問が 残っているかは確認してません。 このハスノハでたくさんのことを勉強 させていただきましたが、結局物事は なるようにしてなり、起こるべくして起こり、 現実をどう受け止めるか。なのかなと。 仏様を信仰しているのはただ人が仏様を 信仰することでいいことをした気分になり 救われるような気がするからで、 その後いいことや悪いことが怒っても 仏様の力でもなんでもなく、ただ起こるべく して起こっただけなのかなと思うようになりました。私は祖母に小さい時から仏様に 手を合わせなさい、朝起きたら朝日に向かって 手を合わせ世の中の人の平和を祈りなさい、 そうすると心が穏やかになるんよと 言われて、できるときはそうしてきました。 小学生でひいおばあちゃんが亡くなり、 ショックで落ち込んでいると般若心経を 覚えなさいと言われ、毎日写経しました。 何年か経ち、私が祖母の部屋でなんとなく 写経していると、もう1人のひいおばあちゃんが 亡くなったと連絡がきました。 私が写経している間に眠るように亡くなった そうで、祖母が、ひ孫のお経で逝ったんやね と言っていました。他にも亡くなった人や 仏様との結びつきを強く感じることが 小さいころからたくさんありました。 その度に私は感謝し、手を合わせました。 つらいことが怒っても仏様なんかいない! とは思ったことはなく、どう乗り越えるか 私が強くなるための試練を与えて下さってる と信じて超えてきました。 でもハスノハで仏教のことを いろいろ教えていただきましたが、 現実を見せられた気持ちになりました。 仏様なんか!とかではありません。 私が信じてきた仏様はいないのですか? 人が勝手に仏様と結びつけているだけで。 そう思うと、手を合わせる意味がわからなくなってしまいました。仏様なんか!とかそうではなく、純粋に混乱しています笑 複数ご回答いただけると嬉しいです!

有り難し有り難し 91
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