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検索結果: 5510件

一生治らない病。まだ苦しむなら今すぐ死にたい

現在、心身の不調により幾つかの病院に通い続けておりますが、どの病院でどんな治療をしても、全く良くなっておりません。 むしろ悪化しております。 幼少期より、あらゆる箇所に不調が現れ、その頃から手探りで病院に行っておりました。 高校生の頃から、幾つかの病院へ本格的に通うようになりました。 それでも どんどん悪化し、今は20代前半ですが、ほとんど動けず、寝たきりに近い状態です。 安静にしていても、いじめ等、過去の辛い記憶が頭を支配して非常に辛いです。 かなり前より希死念慮はありましたが、年々強くなっております。 検査で明らかな異常が出るわけでもないためか、お医者さんは未だに病名を断定しにくいようです。 心と体の両面を、行政にも相談しましたが(電話や対面で医療相談が出来るもの)、とても面倒くさそうで、適当な返答をされるだけでした。 検査で明らかな異常も出ないため、周囲にも理解されず、ただ怠けていると思われているようです。 (動きたいときに動ける方から見れば、そう思えても当然かと思いますが、やはりショックです…) 何をしても改善されないため、この病気が治るのか以前から疑問に思い、何度か医師に聞きましたが、あまり相手にされませんでした。 しかし先日改めて聞くと、 「こちらも困ってるんですよ」「あなたはもう治らない」「一生病院に通って薬を飲むしかない」 とのことでした。 覚悟はしていましたが、この状態が自然死するまで続くとわかると、今すぐ終わりを選びたいと、更に強く思います。 仕事も出来ず、話し相手もおらず、1日中 家の中で孤独に横になる生活が何十年も続くのならば、今すぐ死を選びたいです。 誰かに殺されるのでも構いません。 日本にも安楽死の制度があれば良かった。

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チベットの鳥葬

脳の障害の為に人間関係が築けなくて、常に孤独だし、それを覆えるだけの才能も無いし、生きてるのが申し訳ないです。 生きるからには、他の生命体を殺して食事をするし、水も電気も使うし、でも地球規模で見れば、エネルギーは限られてます。 私のように生産性のない人間を養える程、地球は豊かではないと思います。被害妄想とかでは無く、合理的に考えて、自分が生きていることに違和感を覚えます。 頭痛薬も胃薬も抗鬱薬も私には必須なものが、たくさんの動物実験の上に成り立ってます。 他の生命体の犠牲があって、自分は生きています。 私も自分の生命を犠牲にして他の動物の役に立つのが自然だと思いますが、日本国内で、何かいい案はありませんか? チベットの鳥葬の文化が素晴らしいと思います。ハゲワシに遺体を食べてもらう事で、他の小動物の命を助けてるからです。(読んで気分を害された方、ごめんなさい、でもまだ続きます) 命を消費してばかりの私が、他の命の役に立ちたいのに、チベットは遠過ぎるし、飛行機は乗れないし。 どこかの熊エリアで首を吊って食べてもらうぐらいしかないでしょうか。 でも、人間の味を知った熊を自治体は駆除すると思います。 ギロチンを復活して殺してもらい、鷲や鷹に食べてもらいたいです。人命尊重と同時に動物の命も尊重しないと、バランスが悪い気がします。人間も犠牲にならなくてはいけない気がします。 戦争の兵隊になるのでは無くて、動物の命の役に立つ為に。 生きながら食べられて死ぬ勇気がないので、悩んでます。 鳥葬の文化が素晴らしいなんて、ハスノハでは言ってはいけないでしょうか。

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とある不思議なお寺の住職

先月からご縁があり、とある相続関係の仕事をさせていただきました。内容は、同じ区画内の土地と建物の権利者がそれぞれ4人おり、権利が複雑な為、権利関係を整理するという内容でした。その一部にとあるお寺の所有の土地があり、事前に住職にお話しをしたところ他の権利者に譲渡(売買)の話をしてもらえないかとの事だったので、時間がかかりましたが何とか承諾いただき他の3人の権利も整理できそうな所まで話がまとまりかけたところ、 そのお寺の住職が売らないと突然言い出し、話が破断に終わりました。私が残念に感じたのは、その住職はお金の話(そんな安い金もらってもしょうもないなど・・)が多く、また誰が損か得かの話も多く、仏に仕える方として有るまじき発言だと感じました。同じ住職としてどう思いますか?私はお寺や住職さんの心を作るお話が好きで前から「住職」という職務を全うしている方には尊敬の念がありましたが、そこのお寺の住職さんは欲深く、由緒あるお寺なのに修行が足りないのかな?と感じました。大きなお寺ほどそういう方が多いのですか? ちなみに私は今回の仕事に対して報酬はなく、奉仕(無料)でさせていただいておりました。どちらが仏に仕えるものかわからなくなりました。同じ住職でもこの方欲深いな?と感じる方いますか?

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お寺の後継問題

はじめまして。お世話になります。 実家の寺は、子院で男性の住職でないと継ぐことが出来ません。 ですので、当初は長女である姉がお坊さんと結婚して寺を継ぐと言いだし、 妹である私はそのつもりでおりましたが、姉が発達障害のグレーゾーンである事が専門の病院を受診して分かりました。 姉の代わりに私が継がないといけないのかとも思いましたが、 姉なりに頑張ろうとしていたのか父の知人からお坊さんを紹介してもらい交際を開始していました。 当時、父も母も仏教精神なのか何なのか、発達障害をさほど深刻には捉えていなかったようです。 しかしながら姉は日頃から昼夜逆転の生活を送っており、父母からお寺のことを何ひとつ教わろうとせず、交際相手に会う日と習い事に行く日以外には、部屋にこもり食事も一食しか摂らず何もせず寝ているという生活が続いており家族皆を悩ませていました。 私は、昔からお寺のことで母から大変な話や、母が苦労している姿しか見たことがなく、お寺と関わりなく生きていきたいと思っていて、実家を離れて一人暮らしをしながら児童発達支援の仕事をしていました。しかし任せられる仕事量も多くなり過労で体を壊し病気になり仕方なく実家に帰省しました。現在は胸郭出口症候群の治療のためリハビリ通院しています。 そんな状況にもあって、家族と関わる時間が増えた事により、姉の惰性的な生活と、姉の不機嫌だと癇癪を起こしたり、更に父母に当たり散らす行動を多く見る中で、姉に我慢ならず堪忍袋の尾が切れました。 父母姉そろったところで、こんな無責任な姉にお寺を継がれ滅茶苦茶にされるより、私が継いだ方がいいのではと気づいたら泣きながら話している自分がいました。 進んで継ぎたいという気持ちではないのは昔と変わりません。 お寺は私物ではないですし、これからこの問題にどう向き合っていったらいいか悩みます。悩む分だけ体は正直で、中々私のからだは痛みが増し未だ癒えません。自分の体も良くなるのか心配になります。助けてください。

有り難し有り難し 56
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仏教と神道

 こんばんは。先日は私の質問に真摯にご回答下さりまして、誠にありがとうございました。こちらで質問させていただいて、お坊さま方の回答から今後の生活のヒントになることを沢山学ぶことができました。本日は、さらに質問したいことがございますので、ご迷惑かとは存じますがご回答頂けますと幸いです。  私は、仏教について勉強していく中で、日本では仏教と神道が結びついて独自の文化を形成してきたということを学びました。それは、ヨーロッパのような激しい宗教対立ではなく、大乗仏教の柔軟な教えがあったがゆえに土着の信仰を包摂できた結果生まれたものであり、世界の中でも珍しい信仰体系であると思います。  しかし、仏教の教えと神道の教えは相容れない所があるようにも思い、そこが自分の中で考えの整理がつかない点でもあります。例えば、先祖崇拝はもともと仏教の教えには無かったと学びましたし、神道の荒魂・和魂といった概念も仏教の教えとは異なるもののように感じます。この両者の教えの違いをお坊さまはどう整理されているのでしょうか。  なぜ、このようなことを申し上げたかと言いますと、私の実家の信仰と上記の問題が関連しているためです。私の実家の宗旨は浄土真宗なのですが、仏壇の他に神棚もありますし、両親は仏壇の他にも調理場や庭石などにお供えをしています。また、お寺にも神社にもお参りに行きますし、お墓へもお参りに行きます。これまではこれらを当たり前のこととして受け取っていたのですが、仏教を勉強していくうちにこれらの習俗に対して疑問が湧いてきてしまいました。  浄土真宗を信仰する家庭では、神棚は基本的には置かないと伺っております。また、死んだら即成仏という考え方であるため、位牌も必要ないと聞いております。しかし、私の実家には神棚もありますし、黒塗りの位牌もあります。この両者の間の矛盾をどう整理すれば良いのでしょうか。菩提寺の住職様に質問はしてみたのですが、曖昧な答えで納得のいくものではありませんでした。私は、人生を生きていく上で道標となるものを得たいと思い、仏教の勉強をしてきたのですが、現実の生活に活かせるように整理しようとすると、矛盾点が多く悩みはむしろ以前に比べて増えてしまっているような気がします。  お忙しいと思いますが、お坊さま方のご意見を伺えましたら幸いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 47
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死ぬべき人はいますか?

私は、自分自身は死んだ方が良い人間だと思っています。 私は犯罪者ではありませんが、たくさんの人に迷惑をかけてきました。 税金をもらって仕事をしているのに、何も成果を出せていません。 恵まれた環境を提供してくれた両親、祖父母には、何も恩返しをしていないばかりか、結婚式でひどい思いを味合わせてしまいました。 奥さんには、要求されたことを提供できないばかりか、マイナス思考をぶつけて泣かせる始末。 私とさえ結婚しなければ、幸せになれたろうにと本気で思います。 皆さんにできるだけ早く人生を改善してもらうために、事故に見せかけた自殺により死亡保険を獲得し、分配することを考えています。 自殺について話した職場の同僚の中に、五万でいいからくれと言っていた人がいるので、お金を渡すよう遺言を残せば喜んでくれると思います。 私の死により、税金、食べ物、エネルギー等の無駄が減るのです。 マイナス思考に晒される人もいなくなります。 悲しむ知人はいるかもしれませんが、転校してから一度も合わない友人と同じ状況になるだけですので、一週間も経たずに元どおりになります。何も問題ありません。 いいことしかありません。 死んだ方が良いのに、国家や仏教が生きろと言うのは、 納税者、信者という名の奴隷を減らさないためではないでしょうか? ささやかな幸せという名の幻想で人々を騙しながら、せっせと労働させ、お金を納めさせる。これが国家の真実だと私は思います。 税金を無駄にし、価値を生み出さない自分はゴミでしかない。 それでも、生きなければいけない理由はあるのでしょうか? 親族を悲しませてはいけないのならば、親族を皆殺しにしてから、自殺すれば良いのでしょうか? そもそも、このように人に皮肉や挑発ばかりする性格だから嫌われるんです。 現在、死亡保険や死後に必要な手続き、お葬式の準備など、少しずつ進めています。 お坊さんからも死ねと言ってもらえたら、初めて自分を肯定できそうな気がします。

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2023/12/21

学生時代に親に言われたことが許せません。

学生時代、親から言われたことが、10年以上経ってもどうしても許せません。 大学生の頃、同級生からいじめを受けていました。 学生といっても大学なので、成人した大の大人がいじめだなんて情けない話なのですが、理系の大学で同じ実験班のメンバーからある時ターゲットにされてしまい、2年ほど目の前でずっと陰口を言われたり、実験に参加させてもらえないというようないじめが続きました。 本来できたはずのことができなかったので、勉学にも支障が出ました。 大人なので上手く対処できれば良かったのですが、当時はそれができずとても辛かったです。 そのことを両親に打ち明け、教授に実験班を変えてもらえるよう頼みたいけどどう思うか?と相談しました。 すると、「そんなことでグダグダ言うなら大学なんて辞めてしまえ!」と言われました。 結局、教授や先生には相談できず、実験班を変えることができませんでした。 仲のいい友人がいましたが、班が離れていたこともあり実験時間に助けてくれる人はいませんでした。 ちなみに毒親ではないと思います。普段は良好な親子関係ですし、結婚したときは結婚式の費用も工面してもらいました。 友人からの評判もよく、子どもながらに良い親だと思っています。 でもそれだけに、その発言だけが未だにどうしても許せません。2人ともいじめられた経験がないので、辛さが分からないのだと思います。 自分のしたことに気づいてもらって、一生後悔してほしいくらいです。 親にこの気持ちを言ってわかってほしいという思いが強いのですが、辞めた方が良いですか? こういう気持ちはどのように折り合いをつけていけば良いのでしょうか? アドバイス頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 14
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悪い関係のまま亡くなった家族に対し、心の整理をつけるには

葬儀を済ませ3ヶ月程経ちますが、何度も父のことを思い出して困っています。それも悪い記憶です。 私は7才~15才頃に父から性的虐待を受けていました。触れるまたは触れされるという程度のものですが。家族は誰も知りません。父が発病した頃から鬱傾向が出ていましたが、状況が落ち着いて症状も改善するかと思ったら、逆に悪化しています。 父と一緒に私の心のもやもやも埋葬されると思っていました。それが、どうも墓の中からゾンビのように這いずり出てきて、後ろ髪を引っ張られているような気持ちの悪さです。 このような故人への屈折した思いを整理するには、どうしたらよいものでしょうか。 実のところ、私は父を道端の石ころ程度にしか思っておりませんでした。父の人格の良い部分というのは「母にとっての良い夫」「弟にとっての良い父」というフィルターで認識しており、どうも他人事です。恨み憎しみを日頃から抱えていられるほど逞しくありませんので、つとめてその存在ごと忘れるようにしてきたからだと思います。 最後は半年の在宅介護でしたが、遠方より可能な限り帰省して、高次脳障害で幼児のようになった父の介護を手伝っていました。その間も、父に対して同情も憎しみも親愛の情も湧かず、赤の他人を看護しているようでした。「家で出来る限りのことをしたい」という母への孝行と思ってやっていた、と思います。 本人の希望通りに看取られ、葬儀も済ませ、このまま空に消えていってくれると思ったのですが、鬱傾向のときにいちいち思い出すようになってしまい、その記憶から連想されるフラッシュバックやネガティブな感情に苦しめられています。激しく落ち込んだときは希死念虜まで出てきまして、はじめて精神科にかかりました。 とはいえ、あれこれうまくいかないことを父のせいにしているだけのかもしれません。仕事や慣れない環境など、ストレス要因は他にもあります。もう責めようのない土の下の人間に罪をかぶせて、トラウマを理由に、自分の意志の弱さや状況改善の努力から逃げている部分も否定できません。 この件については精神科のカウンセリングも受けていますが、故人への複雑な思いを整理するうえで、何か心の拠り所になるような考え方があればお教えいただければ幸いです。 自分でも整理しきれていないままの内容で申し訳ありません。宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 63
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