私は、昔、仏事専門の書家として活動していたので、自然とお坊さんにひかれました。でも、出会いがないため、寺で働くにはどうすれば?又、お坊さんと知り合うには?
お坊さんの皆様は安部総理が掲げる安保法案に ついてどう思いますか? 率直な意見が聴きたいです。
今まで生きてきた中で 沢山の縁があって 色んな方と 出会い そして 別れ があり 色んな別れがあります 卒業であったり 離婚であったり 生きてきた中で 後悔は ございません。今現在の 縁が素晴らしいもので 大事だからだと思います。たまたま偶然 見だした心の時代という NHK の番組がきっかけで 仏教 初めはすごく 華厳宗に東大寺に 興味を持ったのですが そこまで 行ければ良かったのかも しれませんが 私は 三半規管が弱く 目眩と難聴があるので 一人で出かける 距離に不安が あるので 近くで 平日仕事してるので 土日に 法話が聞けるような お寺ないかな(*´꒳`*) と思って 探したのがきっかけで 今縁を頂いたお寺様に たどり着きました。お坊様のイメージが あまり 笑顔なく 素っ気ないと思ってたので 通わせてもらっている お寺のお坊様方は 優しかったので 皆様に支えられて 今日があると思ってます。 私は、心が弱くて 自分の気持ちがフワフワして 生きてきたので 、お寺や 法話 護摩焚きに参加する事によって 仕事も頑張れるようになってきたので お寺様の存在や お坊様方のお話って 大事だとつくづく思ってます。皆様が 今必要な世の中になってるんだと 思うので お坊様方は忙しいと思いますが 皆様のお心の 支えになっていかれますよう 頑張って欲しいです。広い空の如く皆様も素晴らしい縁で結ばれますよう(^人^)
相談失礼致します。 当方、昨年末から体調を崩しがちで仕事を休んでいましたが、その間に職場の運営体制が大きく変化し、その中で上層部からのパワハラやモラハラが酷くなり退職者が大勢出て、自分も精神的に参ってしまい3月末で退職し今は傷病手当の申請しながなら生活をしてもうすぐ2ヶ月が過ぎます。 今はある程度の収入がありますが、何もせず家で過ごしているのも気持ち的に落ち着かない部分があります。長年介護業に従事していたので、またそちらの道に戻るか別の道に踏み出すのかを悩んでおります。 今は焦らずに体調を整える事に専念するか、就活に向かうべきかを悩んでおりますので、アドバイスを頂けたらと思いますのでよろしくお願い致します。
私は31歳独身で、非正規労働者です。彼氏もいません。5年前からメンタルクリニックに通っています。周りや妹が結婚して羨ましいです。勉強頑張って、いつも人に親切にして、仕事からも逃げず生きてきましたが、報われなさに絶望しています。この生活がこの先何十年も続くなんて耐えられません。罰当たりなことと理解していますが、はやく人生を投げ出したいです。親と妹を遺族にしたくない一心で踏みとどまっています。一体私の何が悪かったのでしょうか。考えすぎと言われますが、この人生をもっと良くするために手を尽くしたく考えるしかないのです。どういった心持ちで生きていけばいいのでしょうか?そしていつか救われる時がくるのでしょうか? こんな質問で申し訳ありません。どうかもう少し生きていくための考え方をご教授願えますでしょうか。
あほか あんたら 適当なこと言って! 人には自分もできないアドバイスして ふだんはお布施だなんだかんだ高い金ふんだくって 自分の身が危なくなると、逃げ腰で、 神仏を出して人を脅す 人の悩みにつけ込んで神様仏様気取るんじゃねえ 正々堂々してろってんだよ! 内輪もめでもしてろ 丁寧な言葉使っても騙されないよ そんな坊さんがいました
お世話になります。 未だ一人娘の死が受け入れられずにいて、胸が苦しいです。 私はシングルで、19歳まで育ててきた娘を事故で失いましたが、1年経った今も毎日涙が止まりません。 この先ずっとひとりで、辛く悲しい人生を歩いて行かなくてはならないと思うと重い十字架を背負わされて、耐えろ!耐えろ!と神様に言われてるような気がして…まるで生き地獄です。 私の生きる意味がよく分かりません。 どうして、神様は不幸ばかり与えてくるのでしょう。 人に意地悪などしないで、今まで一生懸命真面目に生きてきたのに… どうして、たった一人の宝物をなぜ奪うのでしょう… 何をしても何を食べても、楽しい、美味しい、と思わなくなりました。 趣味のドライブに一人で出かけても、今まで娘を横に乗せ走らせてた楽しい思い出だけが蘇ってきて、運転中も涙が出てきます。 この辛く、長いトンネルは私の命が消えるまで続くんでしょうか…。 最期、人は何を思って死んでいくのでしょうか?
新宿での焼身自殺、首相官邸での抗議デモなど、最近の「集団的自衛権」を巡っての抗議が行われています。 仏教的には、「流れに逆らわない」というイメージがあるのですが、今の現状の流れが戦争につながるかもしれない政治家の側にあるのか、戦争反対への自殺・デモなどの側にあるのか、もしくは大多数であろう「傍観者」なのか、疑問に思ってしまいます。 かつて、太平洋戦争が始まった頃ともしかしたら今は同じ状況なのかもしれないという気がしています。 太平洋戦争の頃の宗教家の言動などを踏まえて、今現在の宗教家の方々はどのように考えて、どのような行動を取っているのでしょうか? 大局に囚われず、右往左往するのではなく、今自分の眼の前にある日常生活を淡々と過ごすことが大切なのでしょうか?
こんにちは。 昔、芥川龍之介の書いた『蜘蛛の糸』という小説を読みました。 お釈迦様がガンダダが救おうとして結局救われないという話だったと思います。 しかし今思い返すとあの話は少し変だと思いました。 あの話ではお釈迦様は極楽浄土にいて、そこから糸を垂らしてガンダダを救おうとします。 しかし仏教では解脱したら輪廻が終わり、無に還るだけだと説いているので、浄土にお釈迦様がいるのは場違いです。 そして調べてみると極楽浄土というのは阿弥陀仏の浄土なのでお釈迦様がいるのはやはりおかしいそうです。 またお釈迦様が人を物理的に助けるというのもおかしな話です。 お釈迦様は神様ではありません。(仏教的には神さまよりも上の存在(?)) あくまで現世で弟子たちに教えを残しただけです。 この作品は日本人に誤った仏教感を植え付けていると思いませんか? もちろん作品の演出だと言えばそれまでですが、日本で古くから信仰されている宗教だからこそ日本人は仏教を正しく認識する必要があると思います。
仏教でもキリスト教でもイスラム教でも、宗教は対立し得ないと思っています。現実に起こっている戦争は、宗教を大義名分にした、個人的な諍いに過ぎないと思います。 さて、宗教に関心はあるのですが、法華経を読んでも、聖書を読んでも、古事記を読んでも、自分が特定の立場をとる根拠が分かりません。 どのような基準で特定の宗教に入るのでしょうか? 「親が○○教だったから自分も」というのは、宗教性と何ら関係がないことだと思います。 みなさまは、なぜ仏教を選び、その宗派を選んだのでしょうか? また、他の宗教についてどう思いますか?
私の宗派は浄土真宗なのですがもっと自分の考えに近い宗派があるのではないかと考えております。宗派を変えることはできるのでしょうか? また、宗派を変えるにはどうしたらいいのでしょうか?
先日和人形を写真に撮ってから肩、首が痛み寒気がひどくこのようなサイトで見習いのお坊さんに相談し 私の今の状態を写メで送ったところ霊が憑いていると言われました。 そこで近くでお祓いをしてきますと言ったところそんなお祓いじゃ除霊はできない 私の周りにいる男性と性行為をし精を中に出してもらって体から精がでないようにして下さいと言われました。 さすがの私もおかしいと言いましたが 早く精を中に出してもらわないと霊に憑依されますと脅されます。 なんだか怖くなりその見習いのお坊さんとはやりとりしないようにはしましたが 実際そのような方法で霊はとれるのでしょうか。 ※ちなみにその和人形の写真には私からみてなにもうつってないようには見えます かなり脅されて精神的にも疲れました お祓いをしてもらいたいのですが全くわかっていません。お祓いについても教えていただきたいです 長文申し訳ないです よろしくお願い致します。
私は看護師なのですが、患者さんが不安や恐怖で辛いときに繰り返し唱えられる言葉を探しています。 その患者さんはお経を全て覚えることは難しいので、お経の中に、繰り返しやすく支えになるような言葉があれば教えてください。 心に握りしめて唱えることで、落ち着けるお守りの一つになればいいなと思っています。
先日、大学の授業で教授が「福祉の考え方は西洋から日本に入ってきた。ヨーロッパやアメリカはキリスト教の隣人愛の精神にのっとって助け合う心が人々にあるから福祉が充実しているけれど日本ではキリスト教がメジャーではないからなかなか助け合いや福祉の精神が広まっていない。」と話していました。私は宗教についてあまり詳しい方ではありませんが隣人愛という言葉は知っていますし、確かにキリスト教を信仰する人が多い国で福祉の心が根付いているというのは何となく納得が出来ます。 でも、日本人にも助け合うという考えはあるはずだと思います。熊本の地震があった際も、火事場泥棒などひどいことをする人もいるようですが現地にボランティアに行ったり募金などの支援をしたり、困っている人を助ける動きがあるという話もたくさん聞きました。なので、教授の「キリスト教が浸透していない国では福祉の考えも浸透しない」といった話を聞いて何だかもやもやしてしまいました。 そこでお聞きしたいのですが、仏教においてもキリスト教でいう隣人愛のような、誰かと助け合う、支え合うという教えはあるのでしょうか。無宗教だという人も多いので何も宗教の考えだけが人の助け合いのベースではないと思いますが、日本は仏教が身近という人も多いと思うので、仏教にもそういった教え、精神があればぜひ教えてください。
死後の事についてご相談があります。 私は宗教という考え方やそれに基づいた慣習、イベント自体は好きですが、私自身が何かの宗教に属することは避けたいと思っています。 私の知る上では各々の宗教の考え方と私自身の観念が合うことが少ないからです。 ただし、宗教のパロディである空飛ぶスパゲッティ・モンスター教には共感いたしておりますので、自称するときはパスタファリアンを名乗っています。 そこで、私が死んだ後、葬式をあげてほしくないと思っています。 特に仏教式の葬式です。 なぜなら、戒名をいただいた時点で、仏教徒になってしまい、仏教という枠に囚われてしまうからです。 悟りも輪廻も御免被りたいです。 衛生的な観点からは火葬自体はしても構わないのですが、法律が許しませんが、できればその後はゴミ箱にでも捨ててもらって処分してもらいたいと思っています。 家族にそのことを話すと、死んだら終わりだから死後の事など心配するなと言われるのですが、そうではなく、私がそのくくりにとらわれてしまうことを決定づけられることが不服なのです。 死後の世界云々は信じておりませんが、生きているうちはそのことが囚われであり、心配であります。 ただ、信じずとも無いことの証明は極めて難しい以上、ある可能性は0ではないというのが論理であり、公理です。 (論理、公理とは数学上の意味です。) ですから、その0ではない可能性で、仏教の枠に入ることで、悟れなければ輪廻を繰り返してしまうという観念に囚われてしまっているのです。 ただし、重ねて申し上げますが、悟り自体は御免被ります。 渇愛は人間の人間たる、また、人間の動物たる所以と思います。 私は人間らしさを捨てたくはありません。 仏教に従事していらっしゃるお坊さま方には相容れない考え方かも知れませんが、これが私の中の公理です。 さて、これは私の考え方を変える努力をして見たほうが良いのでしょうか? それとも、家族を説得するようにしてみたほうが良いのでしょうか? 相談する相手を間違っているような気もしますが、意見を伺えるかもしれない機会を捨てることはないと思い、ご相談差し上げます。 よろしくお願いします。