藤本晃(慈照) 回答一覧

先生への挨拶
①初期仏教では、仏様にお参りするのは、修行中のお坊さんに挨拶する延長の、修行を完成させて修行法を教えてくださった先生に挨拶するのだと見ています。
仏様を、神様みたいに願いを聞いてもらう(もら...

善友に親しむ
初期仏教では(特に智慧や道徳心において)自分より優れている人とこそ交流すべきと勧めます。そういう人を善友と呼びます。同等な人とばかりつるむと、楽でも成長はないでしょう。劣った人には、導いてあげる...

完璧を目指すとつらい
お母さまには理想の人間像(わが子像)があるようで、自分はさておき、子供にだけはそのようになってほしいようですね。しかし、お母さまがそのようになるのは良いのですが、他者をそのようにしようとするのは...

怒りも欲も使いようで切れる
怒りや欲を原動力にして成功する場合と失敗する場合があります。
失敗する場合は、欲・怒りに囚われすぎて結局、肝心の仕事に集中して頑張れなかったのだと思います。成功する場合は、原動力は欲・怒りで...

遠くにありて思うもの
親の恩は返せないほど重いと仏教でも言うのですが、それにしても世話をするほうもされるほうも感謝の気持ちがないとむつかしいでしょう。
近くにいて世話をして逆に心が疲弊するようなら、その分、離れて...

仏壇も墓も
生きている私たちの心が働いているのは体のどこですか?と、釈尊は問うて、誰も答えられないので自分で答えたのですが、その答えとは、痛みなどの感覚が生じたそこ、です。体のどこか、そのつど、違うのです。...

途中で辞めていいです
親と子の間には子も親に対する義務が、生徒と先生の間には、生徒にも先生に対する義務があります。育て教えてくれる立場の人を信頼し、人間として必要なことを指導してくれるのだから感謝して教わらないといけ...

業には生まれる前のものと生まれてからのものがある
仏教の因果は無数の前世の分も含めています。それは自分でも分からないので、今世でえらく理不尽な目に遭っているとしたら、「まあ、前世の業が悪かったのだろう」と仏教国では無理やり気に病まずに対処します...

効かないおまじないより効くおまじないを
あなたのおばあ様だとしても他の霊だとしても、盛り塩とか水晶とかセージでは、なんだか追い出したいだけみたいで、相手は気を悪くするだけではないでしょうか。
何か伝えたいことがあるとしたら:
...

自他の区別より善かそうでないか
他者のために何かしてあげるのは善行為です。報酬をもらうとしても、自分の労力などを使ってやってあげるのですから布施行と考えられます。仕事も家事も、嫌々とかでなく相手のためにとやれば布施行・善行為と...

自分で問題設定して自分で解決できるでしょう
進学校だとしてもスポーツだとしても、学校の目的が優先で成績上げろ、他は考えるな、タイプで、生徒の成長を見ようとしなければ、本人はげっそりします。なまじやる気満々で入ったので、三年もこれが続くのか...

総合力の源は?
高校までは、日本では特に、学校の勉強ができるかどうかが一番の基準でした。機械いじりが得意でも、短距離走が速くても、料理が好きでも、学校の科目の数値にはならないので、その価値を忘れがちです。
...

慣れて飽きてきたんでしょうね
読経なんて最初はうまくいくかどうかわからないし、どこから声を出せばいいのか、一定のリズムでいいのか、何より間違わないか、などと、必死で一所懸命にやります。
慣れてほどほどできるようになると、...

そもそも釈尊の仏教(パーリ語の初期仏教)では
律蔵には障害がある場合は比丘出家できないなどとリストに入っています。比丘は在家の迷惑にならないように、在家を指導できるようにならないといけないので、無理はありません。
比丘になってから重い病...

法律的にやりましょう
気が済むかどうかは、世間の権利義務をきちんと行使したかどうかによってもたらされるものもあります。
不倫は、隠す、騙すというウソが絡む悪行為です。日本では刑事罰にはなりませんが、民法では認めら...

善行為の基準
日本のお坊さんではなく本当に出家した比丘の戒律の話ですが、「善行為であっても、それによって自分も利益を得る可能性がある場合は、その善行為を教えない。勧めない」というものがあります。
例えば、...

資格より能力を使って
なんだか、過去の業のせいか、いろいろ理不尽な幼少、学生時代でしたね。
今から何をするにしても、能力はあるので、資格よりも能力を生かせるようにしたほうが良いと思います。
大卒とかなんとか士...

決めつけたら運命論
良いことと悪いことが交互に現れて、やがて善業も悪業も使いつくして、そのあと解脱する、糸玉があっちに転びこっちに転んで、最後は糸が終わるように、というような教えが釈尊の時代にあったようで、それを釈...

我が強いせい
他者の目が気になるとか、引きこもりとか、自殺とか、我が強いからではないかと思います。もっと良い自分であるはずなのに、もっとうまくやれるはずなのに、実際はそうじゃないから、不完全な自分を否定したく...

実際に症状が出てから
克服する術を探すので良いのではないでしょうか。
陰謀論とか言われますが、同じ製薬会社のものでも内容が何種類もあり、症状が重い人や亡くなる人から、何ともない人までいろいろみたいです。
まだ...

思いが業になる
仏教では、心に思うことが業になり、口から音が出たとか、手が当たったとかは業にはならないと見ています。
意図的に何か意味のあることを言ったり、意図的に体を動かして何かをすれば、それは業になりま...

夢判断も厳密に
あなたが見ている夢は、娘さん本人が出ているわけではなく、あなたの心の投影ですね。生きている息子さんも出てきたりするので、そう判断できます。
お友達のも、聞いて、本当に娘さんが出ているのか、あ...

供養とは
本来、目上の人を尊敬してお世話することです。その功徳が自分に生じます。
故人に対して直接お世話(供養)できないので、お坊さんなどを供養して、その功徳を、「これはあなたのためにやったんですよ。...

give and takeとgive and given
「思いやり」とか「お互いさま」とか言いますが、人は本能的にまず自分を考えるのですが、それで終わらず、次に、相手も、できればすべての生命が、まで考えて心配して生きることができると、その心がけだけで...

五逆罪
どうしてこういう訳語なのかわかりませんが、「他にどんな善業を積んでいても、これをやってしまったらその悪業が先に出て、来世は必ず地獄に落ちます」という恐ろしい罪が五つあります。
父殺し、
母殺...

我とセットな怒りや保身に注意して
仏教では煩悩を三種類に分けますが、分かりやすい欲、怒りに対して、それらの根底にある無知とは、まあ、いわゆる我のことだとさらりと言います。
それで、普通は欲や怒りをどうにかしなければと悩み、そ...

我を減らすことに気持ちを向けてみる
怒りも欲も、その根底に「我」があります。
怒るときは、「『俺に』こんなことしやがってチクショウ」と怒り、欲を出すときも「こんな素敵な子が『俺の』彼女だったらいいなあ」と思っているのです。
...

宗派に分かれる前の仏教はいかが?
キリスト教はローマのカトリックとギリシャの正教がまず分裂して、後にプロテスタント各宗派がカトリックから分裂して、、、しかし、どの宗派も本来のイエスの教えを根底に据えているように見えます。
仏...

日本の法律では不倫です
仏教が起った頃の古代インドでは跡継ぎのためにこういうことは良くありましたが、現代日本の法律では夫が不倫して、その子供も生まれた、ということになります。
跡継ぎだけ考えるなら、あるいは、あなた...

仕事を見つける
頭がはっきりしているならチャンスだと思います。
死ぬまでにまだできる仕事をお勧めするのはどうでしょうか。
心だけでできる、慈悲喜捨の気持ちを心に植え付けるという修行があります。
慈悲...

スマナサーラ長老の
『死後はどうなるの?』角川文庫が、分かりやすいです。
死は、知っていても嫌なものでしょうけど、知らないと、もっと不安になります。
仏教が見ている死生観というか死と死後の生に続く輪廻、そし...

法律にのっとって粛々と進めてよいのでは?
本物の出家(テーラワーダ)は在家の権利も義務も放棄したので法律に訴えることもしません。彼らにあるのは自分を縛り守る戒律だけです。
日本の僧侶を含む在家は、法律に縛られ、法律に守られます。怒り...

スマナサーラ長老のやり方で
やるのが安全です。独学で構いませんので、スマナサーラ長老の本やyoutubeを参考されるとよいでしょう。
眠りに落ちるまでの瞑想はヴィパッサナーより慈悲の瞑想が適していると、スマナサーラ長老...

『我とは何かーーパーリ聖典の範囲で』
という論文を昨年「パーリ学仏教文化学」34号に発表し、そろそろインターネットにも出ると思います。inbudsとかciniiで藤本晃で検索すれば出ると思います。
要点は、他宗教では「我がある」...

スマナサーラ長老の
『死後はどうなるの?』角川文庫に簡単明瞭に書いてあります。悟ったら、死後の再生はない。悟らなければ、善業、悪業に従って六道の何かに転生します。怖くても怖くなくても仕方ありません。

正直に断る
慈善行為をしなければ、とか、しない自分は悪いことをしているのか、などと「いつもこうすべき」と自分を縛ったり意識したりせずに、自分の気分、体調、お店の状態などを勘案して、その時々の対応でよいと思い...

受け流すスキルを身に着ける
就職氷河期とか手に職とか言いながら、しかしやはりしっかり勉強して資格を取って、誇りをもって日々の仕事に臨んでおられると思います。
で、実際のジジババは、特に爺は、言いたい放題やりたい放題で、...

業はややこしい
善行為に楽果、悪行為に苦果、と、業は単純明快なはずなのですが、実際はとてもややこしいです。
一刹那(一ナノ秒とかそれよりもっと短いとか)ごとの心の状態について一つずつの業が生じます。悟らない...

死隨念
仏教の修行法の一つに、死について観察する死隨念があります。
誰でも必ず死ぬ、私も必ず死ぬ、という、当たり前なのに何となくみんな避けている現実を正しく冷静に思いながら生きる、特別な修行というよ...

深入りしない慈悲喜捨
大事故や大病を治すとき、医師のチームはまず患者の体が落ち着いて治りたくなるまで待って、体が治りたくなったら治療を始める、ということを聞いたような気がします。体が自分の体について呆然としていると...

使い分け
ヴィパッサナーは、まず、心身をリラックスさせてから行います。トイレを済ませ、空腹でも満腹でもなく、なるべく静かな環境を選んで、どっしりと座る、三時間でも四時間でもそのままいられるような状態を作っ...

死後のこと、生まれる前のことまで含めて、総合的に見守って
病院学級とかでこの世のことを学ぶのはもう置いといて、生きるとはどういうことか、死とは何か、死後はどういうものか、生まれる前はどうだったのか、など、学校では全然教えない大事な内容について、調べたり...

世の中を超えることに挑戦してみては?
釈尊は、最初は、世の中でうまくいっている、恵まれている人々を弟子にしました。彼らは徳にあふれていて何事も順風満帆で、世の中に飽きていて、もっと何か挑戦できるものはないかと探していました。
そ...

「苦の見方」
というタイトルのスマナサーラ長老の本が出版されています。そこに書かれていると思いますが、少し私なりに付け足すと……
「一切皆」は、間違いです。般若経などの漢訳の時に間違えたというよりは般若経...

われ正しい。ゆえにお前が間違い
と、人は考えがちです。
自分の意見が自分は大好きなので、別の意見やそれを持つ人を、嫌います。しかしそのような意見は欲という煩悩です。
自分はこのような意見を持っている(好んでいる)が、別...

その人自身と属性
お気持ち、男の立場からですが、よく分かります。
男の方が異性を性的対象として見がちなことも事実だと思います。
農業に例えれば、男はどの田んぼにでも手当たり次第種をまいて、どれかがうまく芽...

よく学ぶか下手に学ぶか
初期仏教では、人間に生まれたのは、前世の業の中の良いものが出たから、それと別に、一生涯の中で前世の業の中の良いものが助けたり悪いものが足を引っ張ったりする、と、おおざっぱに見ます。それらは全部、...

お寺を変えるの自由です
憲法22条でしたか、信教の自由が保障されています。憲法は日本の最高法規ですので、宗教法人法にそれより強いことが書いてあるわけがなく、まして、一宗教法人(寺)が独自に「うちの檀家をやめてはいけない...

哲学科
は結構不人気で、これがある大学はもはや希少種で(しかし文系学問の根本なので旧帝大をはじめ置き続ける大学は多い)、文学部の中でも最も敬遠され、そのため入りやすいですね。私も哲学科出身です。根本だけ...

お盆と輪廻はもともと別の観念
お盆は、世界中の宗教にある素朴なこの世とあの世の観念です。生者の世界と死者の世界。行ったり来たり。そこで想定されているのは、この世と似たような人間のような生命がいる世界。畜生は想定されていないで...

怯えず、浮かれず、冷静に判断して行動しよう
太宰治が戦争中の方が生活や作品が生き生きしていて戦後はまたダメダメになっちゃったとか躁鬱気質だったのではないかとか言われています。
東日本大震災のように、非日常的な現象が起きると、人の気持ち...

生と死はセットなので
どちらかだけを嫌ったりどちらかだけを欲しがっても、もう一つがもれなくついてきます。
無常で刹那滅なので、すべての物事が一瞬しか続きません。生きられません。でも、ずっと続いています。ものすごい...

見方によって見えるものが異なる
目の見えない、しかもそれまで象を知らなかった人を集めて、これが象だと触らせてあげると、ある人は象は丸太のようなものだと思い(足を触ったのでしょう)、ある人は箒のようなものだと思い(尻尾を触ったの...

『餓鬼事経』(国書刊行会)を和訳出版した私から見ると、
遺骨は関係ありません。が、遺骨や弟さんに対するご家族の執着のレベルは、家全体に対して関係あるかもしれません。家族が暗くなって悲しんで後悔ばかりしていると、家全体が負のオーラに包まれ、霊が寄ってき...

では、世の中を超える道を探してみるのも一興では
仏教学という学問の一分野が、ちょっと自縄自縛状態です。
普通の学問は、現場で苦労して、では、と、原理や仕組みや新しいアイデアを学問で出して、これならいいだろうと発見発明して、また現場に持って...

私もスマナサーラ長老のものをお勧めします
『死後はどうなるの?』角川文庫で、輪廻とそれを超える悟りの構造がざっと分かります。
『無常の見方』、『苦の見方』、『無我の見方』という三部作が、もしサンガからなら今は新刊では入手しにくいですが...

初期仏教的には
「悟り」が最高の目的で、「浄土」というか天界への往生は、悟れなかった場合の転生先として良い場所に行こうという「救済」措置です。
東アジアに伝わった漢文の仏教では、中国でも朝鮮でも禅と浄土を一...

仏教的に言えば
執着と本当の望みの違いは、前者はただの煩悩・欲で、後者は自分の心を成長させるための意欲、と、分類されます。ただ、自分でもその違いに気づくのはむつかしいでしょう。
ギリシャ哲学で、異性に対する...

欲と意欲はちょっと違う
欲というか貪・むさぼりはラーガで「汚れ」という意味なので、いわゆる欲です。良くないものです。
意欲チャンダというものが別にあります。それは「やる気」です。やる気自体は良いとも悪いとも言えませ...

初期仏教の観点からは
自分と相手との関係とか相手の大変さとか、あまり考えないかもしれません。
単純明快に、ただ、自分の気持ちだけを表明します。「あなたが幸せでありますように」「あなたの悩み苦しみがなくなりますよう...

人も霊も変わる
ご主人の写真を撮ったのはいつかということが気になります。半年も前のものだと、その頃には前妻さんが憑いていたかもしれませんが、今は取れたということも、ないことではありません。
人や動物の心や居...

生きること死ぬことはこういうものだ
と、ちょっと無理やり客観的?に見る方法も、仏教にはあります。
親しい人の死を乗り越えるためにいろいろ策はありますが、ひとつ面白いのが、前世からの因縁を譬えに出す方法です。
仲の良い夫を突...

慈悲の瞑想をしてみるとどうでしょう
もし、心の奥底の波動が何となく周りに伝わって、それが周りにとって、何か好ましくないものだったとしたら、そういう現象もあるかもしれませんね。鳥を追い払うために人間には聞こえない超音波を流すとか、世...

自分の見解さえも周りの影響を受ける
仏教の見方では、輪廻する五道の中で天人にはレベル・ランクが分かれていて、餓鬼道も畜生道も地獄にもレベル・ランクの違いがある中で、人間だけ、まったく一種類だけです。
日本人、中国人、韓国人、ヨ...

スマナサーラ長老の
『死後はどうなるの?』角川文庫をお読みになると死後のことが簡単に分かると思います。お勧めします。
毒矢の譬えも無記も一般世間の仏教好き?の間でずいぶん誤解されているように思えます。無記につい...

死なないでと言わないで
スリランカや東南アジアに根付いている初期仏教の世界では、輪廻が当たり前のこととして受け入れられ、しかも不明瞭な不安を煽るようなものではなく、善因楽果、悪因苦果が浸透しています。
この世で悟り...

ペースを落とそう
バイオリズムというんですか、気分も上々の時も下降気味の時もあります。人生が上手な人は、上場の時にあまり張り切りすぎないで、注意深くやるそうです。下降気味の時は、あまり新しいことに手を出さないで、...

具体的に何をすべきかよりも
親御さんのありがたさと自分の至らなさが分かって、立派だと思います。
親が子にすべき善行為は、善悪の道徳などをきちんと教えて、人格者に育てることです。
子が「自分」にすべき善行為は、まずは...

アルボムッレ・スマナサーラ長老の
『死後はどうなるの?』角川文庫が、手っ取り早く、死ぬこととか死後のこととか理解できると思います。もちろん、仏教の立場から書かれていますが、世間では死後のことは分からないので調べようもないし、他の...

考えすぎ
のような気がします。
まず、人は自分以外の人のことをあまり気にしません。気にしても、自分との関わり合いの中でだけなので、どうせ人も他人を都合よく見ることが多いです。人目は忘れましょう。
...

事実だとしても
まず、フィクションである可能性があります。
また、事実だとしても夢ですから、著者の妄想思考である可能性もあります。
それらの要素を差し引いて、鯉の言い分は、業の問題ですので、全くないと...

広い世界を知ってください
学校に行かなくて、全然困ることはありませんよ。ただ、学びはがっつりやっておいた方が良いです。子供で、学べるうちに。
少し前のアナログの時代には、学校に行かないと学べませんでした。友達もいま...

禅では説明が少ないので
初期仏教的に考えると、非思量(考えない?)とは、あれこれ考えず、一瞬ごとに変わる自分の心身や目の前の現象を、一つずつモグラたたきのようにこれ、これ、これ、と考える間もなく適切に把握して捨て把握し...

漢字で考えると分からなくなることも
虚にむなしいの意味もありますが、それは漢字の意味です。原語がどうだったかを考えずに、漢字の意味だけ取って考えるとわけが分からなくなるかもしれません。
空(くう・からっぽ)がサンスクリット原語...

日本人の急死に多いような気がします
明治維新の西洋科学教の流入、戦後の宗教だけ毛嫌いした教育、などなどのおかげで、生まれる前のことや死んだ後のことは何も考えず、ただ、今生きているこの世界のことだけを考えて生きるように、みんななって...

死後の世界があるのではないかと
古来、世界中で思われていて、ほとんどの宗教、哲学では、それでもせいぜいこの世とあの世の2種類、あるいは、あの世に良い処と悪い処と2つあって、それとこの世の3つくらいしか想像つきませんでした。
...

輪廻は五道(六道)がランダムに
業に従って現れます。人間はいつも人間に、動物はいつも同じ種類の動物に生まれ変わるなどと決まってはいません。
むしろ、地獄、畜生、餓鬼の三悪道(阿修羅を入れると四悪道)で一生を過ごすと、そこで...

行為・原因から見ると
善行為をして、その結果(善業、善根、功徳、徳など)を得るという言い方になるでしょう。
結果から見ると、善行為をして、徳(功徳、善根、善業など)を得たという言い方になるでしょう。同じことなんで...

本当の供養とは
言葉や体・物を使ってお世話してあげることです。
直接してあげられなくなった故人に対しては、自分が何か善いことをして、「この功徳(くどく、善業)をあなたに上げます(廻向[えこう]します)」など...

何もかも瞬間ごとに生滅変化する
と思えばいかがでしょうか。
死の苦痛が来たときは、どうせそれに集中して、他のことはもう考えられなくなります。なんとか苦痛が和らいだら、もうあの苦痛は嫌だと怯える? 対処できるかどうかいろいろ...

前世の因縁
というものもあります。「私の場合はこういう人が集まるなあ」と考えましょう。
具体的な対応は、まず、子は小さい頃から親孝行すべきで、成人したら親のお世話をするはずなのに、子が親に対して偉そうに...

行為と結果
はセットで切り離せないものだと仏教では考えます。どのくらいセットかというと、行為の結果をカルマ(業)と言いますが、行為もカルマと言うのです。
行為には必ず結果が出るので、善行為には善業=功徳...

供養とは
何かについて、何度か回答していますので、よろしければ私の他の回答もご覧ください。また拙寺ホームページhttps://seikyoji.jimdofree.com/に『供養ってなに?』という冊子を...

お母様にも良い人生でした
と思えるのですが、いかがでしょうか。
夫の最後の時を堂々と支え、見送り、その代わり、とくに精神的にきつかったのでしょう、脳梗塞とは。
夫亡き人生をその後も歩み続けるのも良いですが、すぐに...

業と努力と半分ずつ
前世までの業が今世に作用しますので、前世までの行為の影響は、結構あります。
そのうえで、特に人間は、今世で善いことも悪いことも自分の意志で結構自由に行えます。その結果が、来世にも影響しますが...

現代の遺骨は遺品の一つ
と考えてよいと思います。
49日法要の時に墓に収めようと言っていたのは、まだ野焼きで骨髄など残り衛生的に問題があるので、なるべく早く土に戻そうということでした。
今は、お骨はカラッとカル...

供養とは
本来、特に目上の人をお世話することです。相手のためにもなりますが、目上を敬いお世話する功徳が自分に生じるので、自分にも相手にも良いことです。
「故人のために供養する」と言えば、直接何かしてあ...

喜と喜を押し付けることと
順序を逆にして後ろからお答えします。
>仏教には、ムディータ(喜) と言う考えがありますが、私は、大して知りもしない人にムディータと言う状態になれないのが現状です。だからと言って、人の話を...

来たというよりまだ行っていなかった
のでしょう。
亡くなって、すぐに次の生に行く人もいますが、しばらく人間界の近くでうろうろする人もいるようです。中陰の四十九日間と決まったわけではありませんが。
お母様がそれに気づいてよか...

人間関係は信頼に基づく
在家の五戒の五つ目の酒は話が別なのですが、殺生、偸盗、不倫、嘘の四つの中で、仏教から見て一番罪が重いのは、嘘です。次に重いのが不倫。盗みや殺しは欲や怒りのなせることで、体や物で行うことで、傍目に...

怒りを分析してみよう
怒りを何とかしなければいけないと思えているのですから、けっこう楽に上達すると思います。
一番すごいのは、怒りが心に沸いた瞬間に、これは怒りだと素早く気づいて、やめようと決めて、怒りが静まる...

如来蔵・仏性思想と釈尊の教えの違い
あなたが想定しておられるのは、仏教でいえば如来蔵・仏性思想に近いような気がします。もともと仏教にはなく、仏教以外のたいていの宗教にある教えというか感覚です。現世と来世?に分け、現世では不完全な代...

正しい繰り返しによって少しずつ成長する
体は成長するといっても、その後は年老いて病気になって死ぬだけです。花が種から花開いて萎んで枯れるのと変わりありません。植物は土に還り、体も、埋めて土に還したり、焼いて、しかし骨を土に還したりしま...

え?何か問題がある?
高校中退してから高卒認定を取り、通信制大学まで卒業が見えている段階ですよ。比較対象が少ないので分かりにくいかもしれませんが、全科目で高卒レベルの合格を取るのは、結構大変です。学校に行っていれば、...

無限恐怖症とは良い名前を付けましたね
「宇宙の果ての更にその先には何があるのか」について釈尊は、それは論理的に探せないでしょ?という意味の答えを出しているようです。果てだと思っていたその先なんて、あるとしたらまだ果てじゃなかったって...

仏教が教える死後の世界は
結構シビアです。
宗派に分かれる前の釈尊の仏教では、生命の生き方を六種類に分けて、上から天人、人間、阿修羅、餓鬼、畜生、地獄と分類しています。釈尊がインドでも初めてそう分類したと、古いインド...

怒りに二種類
あると仏教では見ます。
一つは、今のような、パッと怒るもの。たぶん、虫の居所が悪くて、でも、怒鳴り散らしたらもうすっきりしているかもしれません。直さないと周りが迷惑なのですが、周りの人も、あ...

心の感覚
感覚に六感ありまして、そのうち最初の5つ眼、耳、鼻、舌、身は今ここの外界対象やせいぜい体の内側を感じるだけです。感じた直後に心・意が、「私が見た」「私が嗅いだ」などと感じ、それについていろいろ考...

恐れは怒り
まったく同じものは初期仏教(パーリ聖典)にはないと思いますが、発想は納得できます。
煩悩を無知、怒り、欲の3種類に分けると、恐れは怒りの仲間に入ります。
何かを自分に取り込みたい、引き込...