藤本晃(慈照) 回答一覧

生きたくないという気持ちも煩悩
まず、生きたくないという気持ちの正体を知りましょう。
煩悩といえば欲と怒りと無知の三種が有名ですが、、、
喉が渇いて仕方ないというような欲とも怒りとも区別がつきにくい本能のような意味で...

自分がされて嫌なことを他者にしない
「なぜ殺してはいけないの?」
という問いに対して、釈尊は、「あなたは殺されてもいいの?」と反問します。それで相手も、「ああ、意味が分かりました」と納得します。
現代の屁理屈社会では、おそら...

苦の対処法が修行
苦はただ苦だと感受するだけで、それだけでは修行とは言えません。
仏教では楽でさえも苦が少ないだけですべての現象は苦・空しいものと見ます。
楽しめの苦を受けたとき、苦しい苦を受けたとき、そ...

心の病気は自意識過剰から
心の病を仏教的に見るとすれば、原因は自意識過剰ではないかなと思います。
仏教用語では慢が強すぎるからではないかと見ます。
慢とは自分と他者を比べて己惚れたり落ち込んだりすることで、躁状態...

欲や怒りの多寡で
仏教では煩悩を三種類にまとめます。欲と怒りとそれらの親玉の無明(私)です。
煩悩の逆の善は、言動や心の行為に欲がないこと、怒りがないこと、私心がないことです。悟らないと完全には無理ですので、...

気にしなくなること
許すの感覚は、たぶん、気にしなくなる、気にならなくなる、忘れる、ことだと思います。
何か嫌なこと言われたりされたりすると、様々な種類の怒りが起きます。その怒りが割と早目に消える、忘れられる、...

ちょっとデータの混乱がありそうです
あなたがこのご質問のように考えた元データが何か分かりませんが、混乱があるように読めます。
三界から想受滅を経て解脱するのではなく、無色界禅定の上に想受滅があるのですが両者は解脱後の現法楽受・...

意識するのは我の仲間
まず、自分の状況を自分で把握しましょう、仏教的に。
我が煩悩の親分で、我があるから怒ったり欲が出たりするので、我を減らすほどうまく行く、我を張るほどうまく行かない、というのは分かります。
...

慈悲の瞑想
体のことは本人にしか分からないのですが、その様子が、周りの近しい人にはなんとなく伝わります。
そこで一緒に痛んだり苦しんだりしてしまうと、心の様子はどうしても外に出て周りに伝わるので、共倒...

弁護士を間に立てたのは正解
だと思います。だいぶ気力が弱っておられるようなので、ドライに、プロを間に立てて進めるべきだと思います。弁護士が、圧倒的に自分の見方かどうかだけ、一応気を付けたほうがいいです。間を取ってこのくらい...

仏教的な基準では
噓を言ったり誤魔化したりしてはいけない。一方、真実だからといって何でも言っていいわけではない。です。言う必要があるか、言わないといけないか、状況を見極めて、語るか語らないか、です。
この場合...

信仰も業だから善の信仰になるように
仏教を始めたお釈迦様が、あなたが考えたのと同じようなことを言っています。
すべての生命が自分の意志(意業)で言葉を発し(口業)、行動する(身業)。それは当然、自分に帰って業になり、次の自分の...

自分でなくても
誰かがそこで動いてくれないと困るので、誰かが雇われたのだ、たまたま私だったのだ、と、逆に考えてみてはいかがでしょうか。
「私」が必要とされるか、「私」が仕事をこなせているかどうか、ではなく、...

一度に一つずつ
生きることは単純作業の連続です。
仏教では特に厳密に、一瞬ごとに一つずつのことしかやっていないと言います。ながらであれもこれも同時にやっているように見えても、車の運転などで同時にいろいろ判断...

体の業が尽きるまで
釈尊が悟りを開かれた時、欲も怒りも無明(私という気持ち)も完全に消え、現象は何事もみな生滅変化の連続で無常で苦であり、現象でない法則(諸行無常など)を含めてすべての物事がみな無我であると解明し、...

無我が分からないこと
痴とも無知とか無明などとも言いますが、要するに、無我という真理に達していないこと、と初期仏教では言います。つまり、欲や怒りは起こらないことがあっても、癡は悟るまではなくならないということです。
...

親殺しはダメなので
父殺し、母殺しは業が重いので、他にどんな善業があっても来世はまず地獄に落ちて、その業が終わってから次が始まります。
殺さない代わりに、関わらない、しか方法がありません。生きている間はとにかく...

無我とは「我がない」の意味ではない
お釈迦様は「我がある」も「我がない」も間違いと、門前払いします。
あるとかないとか言う前に、我ってなにか、調べてください、と言います。我が何か分からないまま、あるだろう、いや、ないだろうなど...

過去世の貯金を取り崩すか増やすか
自分の労力のわりに自分がうまく行っていて「こんなに楽でいいのかな?」と思うほどなら、仏教では前世の功徳が今結果を出していますね、と見ます。
親を選ぶ生まれにかかる業は前世の功徳だけで決まりま...

しいて言えば他縁自果
因果では説明しきれないので因縁果ともいうし、縁だけで縁起とも言います。
結果は瞬間瞬間一つ生じてすぐ消えるのですが消えるとき次の因縁の一つになります。
因と縁は、釈尊はあまり厳密に分けて...

じつは自ら選んで決定している
そのなんちゃら決定論とやらは二つとも物質だけを考えて想定した話のようですね。
仏教では決定論とか運命・宿命論を邪見といいます。他の方もおっしゃったとおり、過去から現在まではもう結果が出ました...

聞思修ではなく思→聞修ではいかが?
これまでは何か問題を与えられて、さあ、この問題を解きなさい。解き方も決まったやり方でやりなさい、というやりかたばかりでした。小、中、高まで。
仏教では、聞思修などと言います。まず聞いて(学んで...

仏教にジャータカあり
ジャータカというブッダの前世物語集は、まあ、フィクションです。動物が人間と喋るし、そもそも、確認できない前世の話だし……
そんなものを、ブッダの弟子たちが創作し、あろうことか、ブッダ釈尊の教...

釈尊の実践法は
超簡単です。体の動き≒感覚や心そのものの変化生滅をただ観察するだけです。
ヴィパッサナー(観)と呼ばれていて、サマーディ(定)と違って禅定に入るわけではなく、ただ観察する挙句に、なんだ体も心...

業の観点から見れば
善業も悪業も、少なくとも大きなものは何か結果を出さずにいません。いつ結果を出すかというタイミングは、分かりません。
そこで仏教では、悪業の結果が出ないように頑張ります。何か悪いことをしたら懺...

スマナサーラ長老の法話や実践会は
長老が住職する日本テーラワーダ仏教協会とその支院や協力寺院でオンライン配信&お堂での実地修行をしています。今も、先週土曜から20日水曜日まで朝から晩までやっています。東京では北区?の北トピアで実...

家族のきずなは愛情よりお勤め
親は子供を無償の愛で育てるというのですが、それでも重労働です。赤ん坊の頃はいつ死ぬとも分からず気を抜けません。大きくなれば教育も授け(られるように学校にやり)、家庭では生きる上で大事な善悪の道徳...

煽りに気を付けて
大学に入るときも、浪人したら次は一年後、それまではただの無職、などとプレッシャーかけられてました。大学に入ることが第一目的で、あとは二の次のように精神的にあおられてました。
今度は、まだ学生...

論理が変ではないですか?
お兄様を亡くされて、誰でもいつ死ぬか分からないと気づいて、そこまでは事実で真理です。が、そこから、いつ死ぬか分からないので将来の予定や約束は立てられないとか親元を離れて進路を選ぶことができない、...

「我」(私という気持ち)がなくなることが
悟り、のようです。
大昔に『悟りの階梯』とかそのパーリ語原典を添付した『悟りの4つのステージ』とかをサンガから出版しましたが版元が倒れて……、図書館などにあるかもしれません。
釈尊は悟り...

生まれた者はかならず死ぬ、私も
と認めていつも心に覚悟しながら生きると、逆にポジティブに生きられるよ、と、仏教では言います。最近では西洋哲学でも言うようですね。
その覚悟ができるまでは、死に目に会うのはつらいと思います。逃...

藤本晃『功徳はなぜ廻向できるの?』(国書刊行会)
に書きましたが、供養とは、お坊さんだけでなく誰にでも、食事を与えたりしてお世話することです。それが善行為なので、功徳(善業)が自分に生じます。その功徳を、直接供養してあげられない故人(餓鬼に堕ち...

言わなかった、行動しなかった
としても、心に思わなかったわけではありません。
言葉や行動はいろいろですが、いずれも、まず心が思って感じて、それから言葉や行動に出る、と仏教では見ます。言葉や行動に出さずに踏み止まっても、心...

藤本晃『功徳はなぜ回向できるの?』国書刊行会
とか、誓教寺ホームページ
https://seikyoji.jimdofree.com/
のオンライン冊子『供養ってなに?』とかに書いておりますが、
釈尊が、悟りを目指すだけでなく、先祖...

ある観点からは
という視点が、こういう問題に答えるためには必要だと思います。
原理・法則としてはすべての生命は平等だと仏教では言います。すべての生命が、死にたくない、生きたい、という本能で頑張っているから、...

正と邪の間にいろいろある
悟りに近づく教えが正しい教えで、遠ざかる教え?はダメダメな教え?とは言えるでしょう。
近づく教えは、無我だと分かること、無我なんだからと思い立ってがんばって我を減らすこと、我をなくすこと≒悟...

心身ともに疲れたところに
言い寄ってきたのですから、相手の既婚者が相当性格悪いですね。あなたはもう判断力も弱くなっていたことでしょう。
既婚者の奥さんにお詫びできたのは筋が通っていてよかったですが、既婚者本人は、まあ...

現代の学問的知見から見れば
浄土三部経とその内容が、釈尊が確認して語った歴史的事実の記録ではなく「仏説」と騙って誰かが作った創作物語であることが、歴史上の事実として認められています。
当のインドではこういう創作品が受け...

ブッダが先生、宗派の開祖は先輩
各宗派でブッダの教えをそのまま教えていればいいのですが、まあ、それなら宗派に分かれることもないでしょうから実際はそうではないのですが、どうしても各宗派ではその宗派独自の教えを伝えます。各宗派の開...

こんなことを何度も繰り返してきた、と、考えると
バカバカしくなって怒りを忘れられるかもしれません。
悲しみは怒りの仲間で、それを取り除いたお釈迦様の逸話があります。
仲の良い夫婦の夫が今日も今日とて畑に仕事に出ました。昼御飯のために帰...

釈尊が教えた仏教に後からいろんなものがくっついて今の仏教
ができあがっています。
大乗経典が後から作られたものなのは有名な話です。
大乗経典以外でも、例えばあなたがおっしゃる話のソースであろう『盂蘭盆経』は、中国で作られたでしょう。このお経(目...

弁護士先生のおっしゃる通り
、離壇料は必要ありません。石屋さんへの実費と、寺には、境内に墓があるなら、騒音などの迷惑料として数万円くらいお布施すれば済むと思います。これまでお世話になった気持ちをお布施するなら、より立派です...

切り離せるものは切り離して
仏教では幸せになるべき、するべきものに、順番をつけています。まず自分が、幸せでなければなりません。そうでないと、周りを、他者を、幸せにするパワーも出ません。
それから親しい、関係の深い順に、...

冷静さがカギ
感情は後回しにして、まずは淡々と、証拠だけ取っておきましょう。ケータイなどの受発信記録は写メとか撮って、薬などもなるべくもともとあった位置で写真を撮って本体も保存。チャイルドシートはもう動かして...

無償の愛というわけではない
と、親子ともども頭に入れておくとよいと思います。仏教では、親子の愛情さえも無償ではなく、お互いに、買うものだ、とさえ言います。
哺乳類ですからお互いに親子でべったりが、特に小さい頃は普通なの...

では、死を考えながら生きませんか?
十九世紀か二十世紀にフランスの哲学者?か誰かが「メメント・モリ(死を思え)」と言って有名になったようですが、仏教でも最初から死を心にいつも入れて行動しなさい=生きなさいと勧めています。いつでも、...

これは独覚の詩なので
まだ悟りの境地が分からない私たち凡夫はいろいろ解釈してしまうと思います。
独覚とは師匠なしに一人で悟り、しかし人に的確に悟りに至る方法を教えられない解脱者のことです。独覚の悟りそのものはブッ...

旅の行き先は人それぞれ
スマナサーラ長老の『死後はどうなるの?』角川文庫が分かりやすいと思います。
だいたい、この宗教を信じていたら死後はここ、あの宗教を信じていたら死後はあそこ、なんて、宗教ごとに、あるいは同じ仏...

もともと気が変わりやすいタイプ
というのが一番学問に向いている性格かもしれません。
学問を突き詰めて研究者になる人は二通りありそうで、1つは、皆様のイメージ通り、1つのことを突き詰めるタイプです。努力、がり勉、秀才、一心不...

サンスクリットではなくパーリ語
がお釈迦様が実際に語った言葉の可能性があります。
サンスクリットは最初はバラモンたちだけが使っており、一般人に分かりにくいので釈尊はむしろそういう雅語を禁じていたのですが、インド北西部ガンダ...

解脱する方法は確立されています
釈尊が解脱し、その方法を弟子たちに教えたのですから、釈尊の教えが残っている現代なら、まだいくらでも解脱できます。
欲や怒りを減らしたりなくしたりすることを頑張るのは、第二ステップです。
...

心が決め手なので、
自分が人や世のためにどれだけしてあげられるかだけで徳が決まるものでもありません。人が自分のためにしてくれることをどれだけ心清らかに一緒に喜べるか、そして普段の自分がどのような心で生きているかによ...

身に着いたら持っていける
やってきた事の善悪の業だけ持っていけると聞いています。
業とは結局性格に現れるとも聞いています。その人の個性のことです。
学校の勉強で得た知識(結果)は持っていけないとしても、知識を得...

在家と出家と分けて考えてください
お釈迦様の教えは、悟りを目指す強いて言えば出家向けのものと、徳を積んで良い今世と来世を目指す強いて言えば在家向けのものと2段構えです。
出家は欲を生むものは全部御法度で、性行為もそれに関する...

功徳も悪徳も量ではなく数なのでくじのようなもの
タイには仏教が根付いています。ほぼ正しいと思います。補足したいことがあります。
ここで言われているポイントとは、タイ語でプン、仏教語でプンニャ、日本語で功徳のことでしょう。
良いことをし...

自分がすでに信じているものがあるのになぜ問うのか?
あなたは水子の存在とか供養の意義を信じておられないようです。水子供養などは布施行ではなく商売とか詐欺と思っておられるようです。それどころか
>六種輪廻についても私は微塵も信じていませんし、...

お嬢さんのメンタルも体も勉強もいっぱいいっぱいなのでは?
親御さんがそうさせたのではなく、お嬢さんの希望で、その部活特待を選んだ、と仮定します(本当はお嬢さんは不安半分のところを周りが「できるできる。またとないチャンスだ」と勧めたのかもしれないとも思っ...

どうせ死ぬまでは生きているのだから
>死んでしまっては選択肢がなくなる。
生きているうちは選択肢が無数にある。
生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。
よく考えてあると思います...

ドライにやりましょう
お金を貸すときは戻ってこないのを覚悟で貸しなさい、とよく言われます。
その代わり、貸さなければいけない義務は全くありません。
しかも一応、相手が返せるかどうかを銀行のように担保面でなくて...

論理と感情
論理的な意見は言葉はきつくても内容で有益か無益か判断できますが、それで、無益なら時間の無駄なので切ってもいいのですが、、、
感情の場合は、好きでも嫌いでも、人それぞれなので、ウマが合わなけれ...

混ぜるな危険
空はいいのですが、どうしても概念で実態がなさそうなので、いろんな人がいろいろ自分の概念を語ります。
今見た限りでも、三つ挙げている中、空は増えも減りもしない、というのは大乗の観念の一つでしょ...

我が子は私のものではない
と、感情ではなく理性で考えを切り替えましょう。
自分が自分の親にさえ、こういう成績を取ってこういう学校に行ってこういう仕事についてこういう伴侶を見つけてこういうところに住んでこういうふうに私...

スマナサーラ長老の
『無我の見方』という本に分かりやすく書いてあります。
私の理解で言うと、釈尊は「我が存在するか?」という問い自体が間違いだと。我が何か分かってもいないのに、それをあると前提してあるのか?ない...

罪のない?
「罪のない」はとりあえずの前提でしょうね。
仏教では、いきなりナイフや銃を突きつけられることにも、現世でなければ前世の因縁、業があったのでしょう、と軽く言います。業は善も悪も結果を出すまでは...

私のもの
ご本人が亡くなられて、それから遺族が選んだ寺の宗派が違っていたのですから、時系列が逆ですよね。
そもそも嫁ぎ先が真宗でも実家が真宗である必要はありませんし。
こういう理不尽な怒りは、「私...

欲と意欲
初期仏教では煩悩の欲ragaと善悪両方に当てはまる意欲chandaを使い分けています。
欲はもちろん欲で、怒りと同じく仏教では心の汚れと見ます。が、特に在家には、怒りはダメですが、欲は倫理道...

洗脳された奴隷たち
国王に、国を治めることはどれだけ徳があるかと、上手に言いくるめられた。あなたたちにもその徳を得る仕事をさせてあげよう、などと言われて、大臣の免許をもらって、王宮への出入りを許された。
そこま...

輪廻の仕組みは
スマナサーラ長老『死後はどうなるの?』角川文庫に書いてあります。スマナサーラ長老のyoutubeでもあちこちで語られています。初期仏教の見解はそれで分かります。
体には寿命が来ますが心は悟る...

空間
本堂のことを仏様を祀る伽藍(がらん)のお堂という意味で伽藍堂とも言いますが、元の音と意味はサンガ・アーラーマ=僧伽藍、つまり比丘サンガのお寺です。サンガ=お坊さんたちが集まるためのお堂です。そこ...

客観的な観察も学び
昔のお坊さんが経典などを求めて異国に行く場合、あらかじめ語学をしっかりやっていた場合も、現地で徐々に学んでいった場合もあるようです。
当時は辞書とか文法書とかおよそありませんから、まずはただ...

生きているうちに頑張ってダメでもセーフティネット
本来の仏教は、自力で悟る、悟れなくても修行や善行為でよい来世を目指す、というものでした。
のちに浄土教が現れて、それは修行や善行為が何もできなくても、仏を念じるだけでも善行為で、それで浄土に...

通仏教的に見れば
浄土真宗とかそういう宗派に分かれる以前の仏教共通の視点で見れば……
>五逆罪や謗法罪は犯すと無間地獄に落ちるというのを知って
これはそうです。
>僕はすぐ怒ってしまう性格で親に何か言...

死を考えるのは真理への道の第一歩
死を思うのは良いことです。無駄どころか、逆に真理への第一歩と、仏教では見ています。が、それにここ100年程度の最近気づいた西洋哲学に答えを探しても、まだ死についての答えは出ていません。
釈尊...

ウソは良くないけど
あなたの架空のゲーム上のキャラとしてその子の誕生日など設定してもいいですよね。ハリーポッターたちにも作者はみんな誕生日まで設定していました。
あるいは、それは聞かれたくない、教えたくない、だ...

智慧と慈悲
ヴィパッサナーは、実在するかに見える現象や感覚が本当は生滅の連続だ、無常だ、無我だ、などと観察するので、とてつもない集中力が連続して必要です。それだけの集中力を養うと、成功します。養うためにもひ...

スマナサーラ長老のyoutubeがお勧め
日本では、仏教といえばまず「宗派はなに?」なのですが、それは日本だけのいびつな構造だと思います。
スリランカや東南アジアでは釈尊以来と自負する上座部(テーラワーダ)だけの仏教で、大乗中心の中...

時間も能力も限られている。断捨離しなはれ
何かを捨てなければ、この調子では壊れてしまうでしょうね。手を抜けば少しは楽になるのでしょうけど、あなたはいい加減にやることにすごく罪悪感を感じているようですので……
無責任に私見を述べますが...

中性的に生きる
人間より上位といわれる天人には女性がいません。
では男性ばかりでむさくるしいかといえば、男性でもないのです。
天人は人間や畜生のような固い体を持たないようです。天人には五感のうち目、耳、...

まず自分が幸せにならなければ
仏教の根本的な慈悲の考え方では、まず自分が幸せになるよう頑張ります。
自分が幸せになったら、家族など親しい人々の幸せを考えることができます。
それができたら、一切衆生の幸せを願う大きな心...

物理的に離れればだいぶ軽減します
現在までよく頑張りました。
仏教では親の恩は云々と言うのですが、それは子供に対して言っていることです。
親に対して仏教では、子供は尊重すべき一個の別人格で決してあなたたちの所有物ではない...

一隅を照らす
前のご質問も見させていただきました。
まず、欲には煩悩的な欲と、それと別に、真理を知りたいとか問題を解決したいという煩悩の少ない、あるいは煩悩ではない「意欲」の二種類があるとお知り下さい。...

緊張の正体は「我」
緊張するのは、「私が」うまくきちんとやりたいという気持ちが強すぎるからでしょう。自意識過剰ということです。
逆に当意即妙にやりたくてそうなっていなくていわゆる慌てて失敗ということになるのは、...

発想を変えてみよう
自分が言うことによって結果が悪くならないようにと気を付けるのは、じつは大変なことだと思います。全く何の欠点もない百点満点パーフェクトを目指すことになってしまうからです。これは自分の心を張り詰める...

生きることに意味なんかない
というキャッチフレーズのスマナサーラ長老の本があったと思います。そもそも仏教では無常、苦、無我が真理だと説き、スマナサーラ長老にも『無常の見方』、『無我の見方』があり、今、アマゾンで出てきます。...

『無常の見方』
と『無我の見方』が、今、アマゾンで出てきます。もう一つ、『苦の見方』もあるはずで、これで無常、苦、無我の意味が分かるようになっています。いずれもスリランカから日本に来られて四十年のスマナサーラ長...

死も葬儀も数ある場面のワンシーン
面白いですね。すごく仲が良かった家族の葬儀にお参りすると、ご遺族がたった1つや2つのやってしまった後悔、やらなかった後悔などを思い出して暗くなってたりします。そういうときは、「つまらんことの1つ...

我正しい。ゆえにお前が悪い
という気持ちで誰もが生きていますが、それをぶつけるだけでは自分以外がみんな敵になってしまいかねません。老人ドライバーのマークを付けていたなら、もう能力が落ちてますから不慮のこともやりかねません。...

ほっといたらどうでしょう
日本の親子関係は変になってきてます。
親も子も前世では他人だったものがこの世でお互いを選んで出現したので、責任が、両方にあります。親は子を道徳的に立派に育てたほうがいいし、子は親に感謝し孝行...

ゼロ、マイナス、プラス
親子はこうあるべきという理想像がとりあえずあり、それに合わないなあと苦労して、今、そこは克服したけど、過去のマイナス分が埋まらない、という感じでしょうか。
人間は、他人にやってあげた良いこと...

輪廻は六道なので
①について
輪廻転生は人間だけではないので、例えば人間が増えた分、野生動物が減っていますので、畜生道から人間道に生まれ変わったと見ることもできます。本当は天人や餓鬼、地獄など、私たちに見えな...

業は人ではなく行為
初期仏教の見方では、AとかBなどと言う不動の誰かがいるとは見ません。
Aという心身の連続がある時体を使って善い行いをした、とか、言葉を使って悪いことをした、などと言う行為が、業になって、しか...

スマナサーラ長老の初期仏教の単純明快な答えがYoutubeで
①
初期仏教というか釈尊がそう語っています。善因楽果悪因苦果はステレオタイプというか真理なので、その後のどの宗派もさすがにこれは外せずに持っています。
②
あるというか、解脱のことです...

親孝行が一番効くかも
怒りに対する薬は慈悲・慈しみだと言います。
何か・誰かに対して怒りが湧いてきたら、「○○が幸せでありますように」とその対象に対して逆に慈しみの心を作って相殺させるのが良い生き方のコツだと言い...

これで充分でしょう
夢で見たあまりにもリアルなその情景が、お父様にとってもあなたにとっても、「事実」ではないのでしょうか。
そうありたかったという気持ちを、あなたもお父様も同じように持っていたから、夢でそう「実...

いがみ合いをエネルギーにするか助け合いをエネルギーにするか
人は一人では生きていけません。誰か他の生命と交流しながら、物質だけでなく心のエネルギーもやり取りしています。家族、友人、仕事関係、みんな心でもやり取りしています。それが生きるエネルギーになってい...

輪廻は業とセット
で考えてください。良さげな生涯を送れているなら、前世の功徳(善業)がはたらいているから、苦しい生涯を送っているなら、前世の悪徳(悪業)がはたらいているから、と。天が気まぐれに人を苦しめたり甘やか...

初期仏教の考えでは
心が脳にあると考えるのは現代科学、心臓のあたりに一粒みたいにあると考えるのはバラモン教(インド)の考え方に似ていますね。
初期仏教(お釈迦さま)の心の理解をご紹介します。ご参考まで。
心...

死ぬのを認めたくない
、という否定的な気分が出てしまうからでしょう。
大好きなお父さんがやがて死ぬことが嫌なだけでなく、日々、衰えていくことも、当然、嫌でしょう。立派で、自分をしっかり守ってくれた人が、今やよぼよ...

自分の気持ちに素直に気付いて認める
のが成長の第一歩です。
人はどうしても誤魔化しがちです。他人に対してはともかく、自分で自分を善人だと誤魔化すのが、案外厄介なのです。誤魔化しているうちは、治しようがありません。体の悪いところ...

不倫とは契約違反のこと
在家五戒の一つ「不倫をしない」は、原語で正確に言うと「いろいろな欲に関して邪まな行いにならない」です。この場合、何が「邪ま」かは、関係者によって決まります。
関係者とはまず「あなた」と「私」...