藤本晃(慈照) 回答一覧

親の恩
親と子の気持ちは、ご夫婦のご事情と別ものです。
嫌いなどというちょっとネガティブな気持ちではなく、成長した自分を見せて喜んでもらいたいという気持ちは立派です。
お母様のご事情もあると思い...

殺生は故意、過失は……
行為は言葉や体で表現する前に心で意図します。その意図が、業になります。
布でくるまれて眠っていた赤子が樹の根元にいたのですが、ある長老がそれと気づかずその上に座り、圧死させてしまいました。世...

死因ではなく業が死後も決める
私たちはみんな、いつも、心で、言葉で、あるいは体で、善いこと、悪いこと、善くも悪くもないことをして、それらの結果を受けながら、また新たに何かをしながら、生き続けています。
何かをした結果が業...

業は自分のもの
と仏教では言います。漢訳で自業自得です。この意味で、仏教はものすごく個人中心の教えです。
仏教では、絶対的な神が世界を作ったり人を作ったり有無を言わさず誰かに何かを強制すると見ません。絶対神...

スマナサーラ長老の
YouTubeの説法を探してみると、悟りに関してもいろいろ見つかると思います。
藤本晃『悟りの4つのステージ』(サンガ)にもきちんと説かれています。
一言、
心を鍛えたり成長させたり何か行...

こんな大切なことを学校で教えないから
ほんとに困りますね。
学校で教えないことは、自分で調べるしかありません。しかも、学校で教えないからもう誰にも分かるはずないなんて絶望しないでください。死のこと、死後のことは、多少なりとも宗教...

親のない人間
というところが気に入りました。親が亡くなった人はいますが、親なくして生まれた子供はいないでしょう。
死者の行く末に関して何ができるのだろうと疑問に思っておられるようですね。
藤本晃『功徳はな...

直接でなくても
出家した比丘たちの場合は、誰かと何か問題が生じても、比丘サンガ全員の前で懺悔します。当人がいれば当人を含めて、当人か自分がどこか別のところに行ってしまったら、相手もいないのに。
比丘の場合は、...

人間同士ならいくらでも
亡くなってからは、直接孝行できないので、お寺に布施でもしてその善行為の功徳を廻向するくらいしか方法はありません。藤本晃『功徳はなぜ廻向できるの?』(国書刊行会)などをご参照ください。
しかし...

体と心
は本当は別のものです。体が動けなくなると死にます。が、心はそんな体が嫌で逃げだします。また何かにしがみついて生まれます。つまり輪廻します。
心を滅することができるのは、悟った人だけです。何の...

争いでは、勝てるのは一人だけ
さて、相手が暴力団で、警察を呼ぶ前にどこかに連れていかれ、殺されたらどうにもできませんね。
誰かが勝つと、誰かが負けます。しかも、正義は必ず勝つとは限りません。暴力で、理不尽に、自分が正しい...

スマナサーラ長老『死後はどうなるの?』(角川文庫)
に分かりやすく書いてありますが、
魂というか心は、悟らない限り、死んでも続きます。
お空から見守っているとしたら、天界の下のほうに転生した場合でしょう。
餓鬼道は人間界の近くで苦しみ、地獄...

畏怖・畏敬の念とは
現代日本の仏教では、彫ったり購入したりした仏像はまだただの美術工芸品で、仏壇とかしかるべきところに安置して坊さんにお経を上げて「魂を入れてもらって」初めて信仰の対象になる、などと言います。魂って...

悪口とは
ご両親もあなたも立派ですね。悪口が陰口(仏教的には「離間語」)であり、本人のいないところで本人のことを悪く言うので、回りまわって多くの人に、そして自分にも影響することを、よく気を付けて家訓にして...

洗脳とか虐待にあたる
内容だと思います。虐待は体罰とか育てないとかの積極的なものだけでなく、相手の思考に介入する洗脳はもちろんそうですが、言動を束縛するのも洗脳とか、もう虐待だと思います。
しかも、それが「あなた...

『供養ってなに?』
という冊子を作り、誓教寺のホームページで見られるようにしています。https://seikyoji.jimdofree.com/の「施本」で探してみてください。
供養のために骨は関係ありませ...

触らぬ餓鬼に祟りなし
の姿勢で行くのが良いのではないでしょうか。
餓鬼には大きく分けて四種類あるようです。詳しい分類は忘れましたが、『餓鬼事経』のどこか、あるいは『餓鬼事』に関する論文のどこかに書きました。CiN...

平等な部分と不平等な部分がある
と仏教では見ています。
平等な部分は、人間(生命)は誰でも生きたいと思っていること。生存本能です。
不平等な部分は、各人間(各生命)が行う行為です。各自がそれぞれの思いでそれぞれの発言や...

2つ、別のものと思ったら?
仏教では智慧と慈悲の両輪と言いますが、智慧は、一瞬ごとの今を捉えて無常、苦、無我をありありと悟ること。慈悲は、すべての生命の幸福を願うこと。でも、すべての生命とか考えているときは、一瞬ごとの生滅...

山口県なのか
私は30年前に山口県の浄土真宗本願寺派のお寺を継いだのですが、その5年後、初期仏教に関心を持ち、スマナサーラ長老の瞑想会を開催し、以後、仏教としての浄土真宗を頑張っていました。
その15年後...

生まれる業、支える業、邪魔する業
人間に限らず、生命はすべて、自分が一番大切なものです。自己保存の本能が一番先に来ます。せっかく幸福なはずの人間に生まれたのに、大変な苦労をしました。しかし何とか乗り切って、ここまで来ました。
...

両方やるのもあり
仕事とそのための学びは、頑張る必要はありますが、苦しんではいけません。向いてない仕事のために苦労して、でも結果は、向いている人がやるより劣るなんて、マッチングしてないだけで余計な苦労で、損なだけ...

子どもの善行為、親の善行為
『シガーラ教戒経』(漢訳は「六方礼経」)というお経に、親子、師弟、夫婦、友人、仕事仲間、宗教者たちとの付き合いの六種類全部の正しい付き合い方が簡潔に説いてあります。スマナサーラ長老『成功する生き...

情報を提供
というと堅苦しいですが、なるべく帰省して直接、無理なら手紙やビデオで、こちらの情報を見聞きさせてあげましょう。感謝などの素直な気持ちを、遠慮なく伝えましょう。
死後に供養するのもそういう気持...

お互いの足し算引き算
をしてみたら、結構、プラスのほうが多いですよ。
あなたは、何十年も夫のために頑張り、夫も、表現は下手だったみたいですが、あなたのために頑張り、両人で子供を育てました。
表現の問題は、その...

感情とは何か
とか、生きるとはどういうことか、などを理論的に学んでみるといいかもしれませんね。
スマナサーラ長老の『ブッダの実践心理学』全7巻の仏教哲学アビダルマについての「説法」が、この世とこの世以外の...

供養とは
本人は死出の旅が近づいていることが分かっていて、家族は、気づかなかったり認めたくなかったり。後から、あれが最後だったか、と、なります。
死出の時だけ、本当に最後なので、強く印象に残りますが、...

気にしないでください
きちんと告知するまっとうなところでよかったではないですか。おそらく、リフォームしても気になるかもしれない染みついた匂いとか、近所の人からもし聞いたらあとくされがあるので、などという実際上の理由で...

前世の因縁
が関わったりしますので、親なら子供は等しくかわいいはず、とは言い切れません。親と子は、前世からの因縁でお互い引っ張り合って現世で親子になるのですが、善いものだけで引っ張り合うわけではありません。...

ドライにやりましょう
何かを意思して、それを言葉や行動で表し(心にとどめるだけでも何かしら体にまで影響が出ます)、その結果を自分で受けます。行為も結果も業と呼ばれます。良いものも悪いものもあります。
自業自得の法...

貯金と借金
功徳=善業と悪徳=悪業はそれぞれ貯金と借金みたいなものです。物質ではなく心に溜まるので、前世の残り分が今世に、今世の残り分が来世に続いたりします。
業はむつかしいので、善いことがあったら善業...

死ぬってどういうことか考えてみよう
とりあえず、ご本人に、あなたが死んでから残った人々にあれこれしてほしいと思っても、やってもらえるかどうかは分からないよ、と、言ってみますか?
人は自分の死後の自分の財産とか自分に関係ある人の...

善悪に2種類あり
まして、一つ目の善悪は、普通の道徳的な善悪です。悪いことをした、善いことをした、です。
これは、心をいつも、善の方向にもっていって、悪意のないように心がければ上達します。
もう一つの善悪...

『死後はどうなるの?』
というスマナサーラ長老の本が角川文庫から出ています。六道輪廻とそこからの解脱についてです。死後の世界があるかどうかがなんとなくわかると思います。仏教的に言えば、「死後」ではなく、いつでも自分が今...

頑張りすぎないで
直接出会うと、五感全部で情報をやり取りします。それで当たり前だと思っていたのですが、オンラインだと、ほとんど目と耳からの情報のみで、他がカットされてしまい、それだけでずいぶん息苦しく感じられるは...

変化のスピードに追い付け追い越せ
すべての物事が生まれたからには必ず変化して変化して消えてしまう。諸行無常ですね。
どんなに楽しい時も、どんなに好調な自分も、いつまでもそのままでいることはできません。良い状況が続いているよう...

契約
結婚する夫婦なら、家族関係は契約だと分かりやすいです。不倫なんかして信用を無くすなら、慰謝料取って離婚するしかありません。
おなかの中に勝手に入ってきて、一年後におなかから出て、「あなたと私...

同じ部分と違う部分
この問題はよく問われます。答えは、釈尊の教えの中では明瞭です。
たぶん、あなたの問いは以下の二つに分けられそうです。
①命の重さに差があるの?あるならどうして?
②(それなのに)命は...

洗脳
ですよね。親の意見が正しくて、他の意見は間違いなのです。それをあなたにも「自分で思って」ほしいのです、親と同じように。
親が生み育ててくれた恩は大事にして、しかし、親の型枠にはめようとする行...

『死ぬ覚悟できてますか?』
という冊子を作り、誓教寺ホームページで見られるようにしています。
生き死にの法則については、スマナサーラ長老の『死後はどうなるの?』という本が角川文庫から出ています。
本人については、死...

はっきりしてよかった
本人は、次の仕事を探すときは、症状のことを最初から申告するでしょう。権利であり、義務でもあります。ハンディの分だけ行政から支援が出るなら雇ってもらえるでしょう。
途中から知ったあなたの会社...

年金のところが気になります
>年金は必ず全額支払えと言われているので控除の申請もできません。
これは行政(市役所)からではなくご家族などから言われたのですよね?行政には、収入が減り納められないときは控除(免除、減額...

愛=欲求=渇愛がなくなれば悟り=解脱なのですが
その状態が、私たち悟っていない人々に想像つくでしょうか。解脱が何か分からない間は、ニヒリズムではないかとか分からないとか悩むことになると思います。こういう分からないという感じも、悟っていないから...

『死後はどうなるの?』
というタイトルのスマナサーラ長老の本が角川文庫から出ています。
古くから言われている、六道輪廻とそこからの解脱についての解説です。
知らない、分からないから余計に不安になるというのは当た...

一瞬ごとの感覚と仏教心理学での分析
を分けて扱った方が良いと思います。
ヴィパッサナー実践しているときは、すべての感覚を一刹那ごとの生滅になるまで細切れにして、次の刹那のものとは分けて扱ってください。何でもいいから感受してそれ...

本当の自分と向き合いたくない
という気持ちが、案外、誰にもあるかもしれません。自分では自分をまあまあ良い奴だと思っていたのに、心身を落ち着かせてあるがままの自分と向き合おうとすると、忘れていた(気づいていない)悪い部分とも向...

『死後はどうなるの?』
というタイトルの本が角川文庫から出ています。在東京40年のスリランカの上座部(宗派に分かれる前の釈尊の教え)のスマナサーラ長老が、日本語で平易に書いておられます。これをお読みになると、六道の輪廻...

将来を見積もる
親御さんが学生の頃は大卒のほうが高卒や専門学校卒より良いのではないかと思われていた頃ではないでしょうか。親御さんたちも大卒で、今、何とか子供を育てることができているという成功体験があり……
...

阿修羅?
輪廻を繰り返す生命の中で人間と天人は善い境涯のはずなのですが、特に人間には、苦楽が併せて起こります。
人間の中で家族や友人と支え合って助けてもらって、朗らかに、天人のように生活する人々があり...

人間界に六道も見える
輪廻を繰り返す生命の中で人間と天人は善い境涯のはずなのですが、特に人間には、苦楽が併せて起こります。
人間の中で家族や友人と支え合って助けてもらって、朗らかに、天人のように生活する人々があり...

>亡くなった親が子供に助けを求めて憑くことはあるのでしょうか?
あり得ます。亡くなって、餓鬼道の一番ましな人間と接触できる程度のところに転生すると、心だけで生きているし、人間よりは苦しい...

言葉の業も意思が決める
嘘、きつい言葉、陰口、無駄話、以上の四つが、言葉の悪業と分類されています。
あなたは嘘は言っていません。
無駄話でもない。
多少、言い方がきつかった?
結果として陰口になった?
と、心...

対価
生命同士の交流についてスマナサーラ長老が「give and take(取る)ではちょっとキツイ。give and given(与えられる)くらいだとうまくいきやすい」というニュアンスのことをおっ...

初期仏教のアビダルマでは
善行為を行うときの心は2種類あるとしています。楽しんでも苦しんでもいない、中立な心か、楽しんでいる心か、です。
善行為をするときは、その心は、善をおこなうのは当たり前だという気持ちでいるか、...

物質的命と心の命
釈尊の初期仏教の定義では、当時の世間で言われる命は、もちろん、魂のような固定したものではなく、存続しようとするエネルギーと見ています。
畜生にも人間にも天人や餓鬼、地獄の生命にもそれがはたら...

「陰口」になったかも
怒りの問題の前に、今回のことは、「陰口」になってしまって少しややこしくなったような気がします。
仏教では、嘘だけでなく言葉の問題をもっと丁寧に、4つに分類しています。
嘘(事実と違う...

『供養ってなに?』
「何を思って、お経を読んでいるのか」と問いかけているあなたには、やはり、ご自分でおっしゃっているように、「供養ってなに?」という疑問があるようです。
疑問は、自分の頭の中でグルグル考えている...

混ぜなければ大丈夫
出家の師弟関係は二十四時間ですが、在家者と出家者の師弟関係は、その時々ですので、混ぜなければ大丈夫だと思います。直接習いに行く場合でも、どこかのお寺の坐禅会なら、その導師のやり方で徹底的にやる。...

できるだけ正確な情報を
自ら聖典を原語で読む、無理なら信頼できそうな学者や僧侶の話を聞く、学者や僧侶の話に納得いかなかったらセカンドオピニオンを探す、など工夫して、できるだけ正確な情報を得るよう心掛けると良いと思います...

尺度を変えてみますか?
世間が愛(≒憎)という感情で動いて、うまくいったりいかなかったりする。
仏教では、愛憎は欲と怒りの感情で、悪いもので、どちらも減らしてなくす方が良いと言います。
では、仏教の理想の在家...

功徳を廻向するのが良いかも
息子さんが本当に夢に出てきたと考えて:
仏教が言う先祖供養の法則をお知らせします。
故人には食べ物や、まして金銭物質は直接は受け取れない。それらが今いるところでは役に立たないから。お金を欲し...

欲と意欲
欲ラーガはとりあえず煩悩ですが、何かをやりたくなる意欲チャンダは、それ自体は善でも悪でもありません。善いことに意欲を出すとその意欲ごと善で、悪いことに意欲を出すと、意欲も悪になります。
善か悪...

情報は右から左まで、上から下まで、あふれています
世の中は単純ではありません。仏教では、人さえも、そんなものはない。ただ体と心の働きが瞬間ごとに働き続けているだけだと見ます。一瞬ごとの感情や考えはころころ変わります。あまり変わらないようだと、や...

見、慢、我
①人はなぜ、自分自身によって「よいもの・正しいもの」と判断したものを否定されると、自分という存在が否定されたのだと思ってしまうのでしょうか。
自分の判断は自分の見解(見)で、それは自分では...

真理を知らないから生きていたくて
必死に生きている(必ず死ぬのに生きている)。
真理を知ったら、生きる目的はない、本能で生きたいだけだったと分かる。

気休めが良いか事実が良いかわかりませんが
死後のことなど不確かなことについては、いろいろな人がいろいろなことを言うので、こちらもいろいろ聞いてみたうえで、自分の好みに一番合うものを「これが真実だ(といいなあ)」という気持ちで選んでしまい...

感情抜きにして犯罪として毅然と対応しましょう
高校生のあなたと大学生のあなたは別人です。もう、高校生の時みたいに我慢する必要はありません。
やっているのはおそらく高校の時のイジメた人で、当時のいじめや今やっていることが犯罪だと思ってもい...

求不得苦と願いは別のカテゴリー
ですので、とりあえず分けて考えましょう。
求不得苦は、生老病死の四苦と怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五取蘊苦(五蘊に執着することが苦。五蘊が盛んなことが苦という五蘊盛苦は少し変です)を加えた...

忘れることはむつかしくても
こんなこと何度もやってきたのかもしれないと思うと少しは楽になるかもしれません。
たいてい、この一生涯のことしか覚えていないので、まじめな人は、なるべく立派に完璧に人生を歩みたいと計画を立てま...

戒律の意味は項目を守ることではなく
心が汚れないようにすることです。一瞬たりとも。悟るまでは、体や言葉で出さなくても、心の中でどうしても欲や怒りがサッと湧くので、そのたびになるべく早く気づいて欲や怒りを止め、懺悔します。
上座...

死後のことについて一番簡単に分かるのは
スマナサーラ長老の『死後はどうなるの?』(角川文庫)でしょう。文庫本だから安いし、アマゾンですぐに出てくると思います。
インドの同時代の他の宗教でさえ漠然と「この世とあの世があるかなあ?」く...

違和感の正体は分かりませんが
悟るまでは無限の輪廻を繰り返すと平気で言う仏教では、縁あって家族になった人々同志がうまくかみ合わないことは、まあ、当然あると考えます。前世が違うし、来世も違うかもしれませんし。
ご家族全員が...

ブッダは女性差別をしませんが
ブッダの同時代のインド社会と、ブッダの後の仏教徒たちはそうでもありません。
まず、五障説などは、ブッダの五百年後頃から出始めた大乗仏典には出ますが、仏陀釈尊が語ったままと言われるパーリ語仏典...

美しいのですが、本当はこうではありません
経典が漢訳され、現代の日本ではこのように伝わっています。日本人の心情によく合うのだと思います。
しかし、元の言葉や意味とだいぶ違ってしまっています。少なくとも、今、挙げられた言葉は、もともと...

雑行雑修自力の心?
現在の真宗では「真宗だけやりなさい。他も交えたら雑行雑修ですよ」と言われるかもしれません。
一方、念仏の教えだけにたどり着いた親鸞は、それまでに天台で様々な修行を実践した上で、念仏一つにしま...

ヴィパッサナー瞑想で瞬間瞬間を捉える
のが(初期)仏教の修行法です。その時感じる感覚に似ているかもしれません。
肉体がとりあえず一つ、それと、そこからの感覚を感受しながら判断・思考し、さらに肉体を使って言葉や行動に変換する心がも...

見解はその人の重要な一部
ある宗教を信仰するというのは、その人の見解がそれに沿っているということです。
政治でも世の中に対する見方でも同じように、誰もが見解を持っています。
見解は、欲の煩悩だと仏教では見ます。自...

藤本晃『浄土真宗は仏教なのか?』(サンガ)
(編集部より。規約により投稿の一部を変更削除しています。)
という本を以前に書きました。浄土真宗独特の世界を仏教共通の視点から再解釈したもので、宗派ガチガチの人々から、そのやり方に文句を言...

形骸化から再編なるか?
供養の本来の意味は、宗教者など目上の人のお世話をすることです。故人には直接お世話をすることができないので、宗教者に最初は食事などの、後に品物やお金などのお布施をしてお世話し、その善行為の功徳を故...

死ぬときに急に怖くなるより
今のうちに万一に備えて来世の準備をしても良いのではないかと思います。
前世までのことは幸か不幸か忘れているので関係なさそうですが、来世のことは、今の私には関係なさそうですが、死ぬとき、次の「...

タイのカンポンさんをご存知でしょうか
タイの体育教師のカンポンさんが水泳の飛び込み実演をしたらプールが浅くて底に体を打ち、首から下がほとんど動かない不随になりました。
病院にいる彼に、あるお坊さんが観(ヴィパッサナー)瞑想を教え...

真剣に生き死にに向き合うべきです
死の恐怖をごまかしながら生きて死ぬ人が多い中で、心がつぶれるほどそれから目を離せずにいるので、もう、真剣に、生きるとは何かと調べるべき時です。
ふつうは、誰も答えが出せず、自分の問題なので客...

「私の我」は大きくなったり小さくなったり
社会に生きている限り、「私」一人で独立した人格ということは、じつは成り立っていません。完全な悟りを開いた阿羅漢だけ、社会的に縛られても独立していられるとは思いますけど。
一人で生活できない...

スマナサーラ長老『苦の見方』(サンガ新書)
という本があります。他にも『無常の見方』と『無我の見方』も、同じスマナサーラ長老によるサンガからの出版です。
無常、苦、無我の意味はずいぶん誤解されてきました。スマナサーラ長老の平易な日本語...

読経の第一目的は
書いて読むのではなく聞いて覚えるインド文化では、読経=暗記=勉強でした。暗記したテキストで頭の中で勉強するのです。
書いて読む中国では、読経の意味は法要で仏の徳を称える供養のセレモニーになり...

付け加えて
先の回答僧様のおっしゃる通りだと思います。
付け加えて、今、あなたが職業とその対価のアンバランスを感じておられることが重要だと思います。
仏教では、心を救う聖職者が一番尊いがこれは職業で...

嘘をつく人にできない悪業はない
(編集部より。投稿の一部を変更しています)
と、仏教では言います。
「嘘つきは泥棒の始まり」どころではなく、嘘がすべての悪行為の中で最も悪い罪だと、仏教では見ています。相手からの自分への...

愛ではなく慈悲で
親に食べさせてもらえないとか暴力などを振るわれると、親からの怒りに対してこちらも怒りの反応が出て大変ですが、コミュニケーション不足で愛情不足くらいなら、なんとか頭を切り替えて乗り越えましょう。
...

バカと言われたからと言ってバカではない
でしたか、そんなお寺の標語があります。
人からの毀誉褒貶に一喜一憂するのは自分が揺らいでいますね。人は自分ではないので、あまりに被害がある時は警察沙汰にするしかありませんが、悪口程度は、無視...

希望という先入観もなくただ観察すべし
座禅の只管打坐の意味は分かりませんが、仏教共通の止観の観(ヴィパッサナー)瞑想と同じ要領だと推測して説明します。(止・サマタは一点に集中して一体感を味わう禅定を求めるもので今は関係ないと思います...

基準をどこに置くか
1
偶然論(=無因論?)・必然論(=宿命論?)の二つだけという発想は、ギリシャ哲学の誰かが言ったものではないでしょうか。
のちに、第三の自由意思があるはずだと、西洋哲学の別の流派では言う...

過ぎたるは及ばざるがごとし
前半は、なかなか仏教的で面白い経験をしているなあと思いましたが、後半は、ちょっとやり過ぎな気もします。
お金の価値は相対的なものですが、だからと言って紙幣を破いたり硬貨を砕いたりする必要はな...

反省は善行為。後悔は悪行為。
他人を苦しめたから、その分自分も苦しまなくちゃいけない(釣り合いが取れない)とか、人に迷惑をかけた人は迷惑をかけられて生きなければいけないとか、よく言われることですが、どこからそういう考えが出て...

楽も苦も過去の業が今出ている
と、仏教では見ます。その、過去の業の結果としての楽や苦を受けながら、それに反応して、新たに善行為や悪行為を、身体、言葉、心で作ります。
宝くじに当たったとか難病で苦しむとかは、何か大きな善悪...

冷静な「たしなめ」や「無視」も相手を思う教育的善行為です
そのおばあさんも、人生の最後の時期に、人に悪態をついて嫌われながらこの世を去ろうとしているとは、悲惨な話ですね。
そういう人でも面倒見なければならないこちらも大変ですね。
仏教国だと、こ...

当の先生に素直におわびして終わり
あなたがその先生にイライラしたのは、仏教を信じている/いないというよりも、むしろ、仏教という研究対象に敬意を払っていないように思えたのではないかと思います。
仏教を信じるとか仏教徒とは何かと...

苦は客観的真理、苦しいは主観的苦しみ
スマナサーラ長老の本『苦の見方』とかyoutubeの説法で私も初めて気づいたのですが、苦という真理は、「不完全」という意味です。自分はもちろん、周りの人々や関係も、世の中の物事はどうやっても完...

愛着ではなく慈悲の心で
無常の真理は、苦しい時は、こういうこともあるさと見方を変える役に立ちますが、楽しい時に、これもまた変化して消えていくと思うと寂しくなりますね。
生老病死を詳しく説明した四つのうちの最初の「...

一切衆生の幸福を願う
先祖の土葬のことは、上に他者の墓があるので、改葬などはとても無理でしょう。しかし、本来、骨は土に帰るために埋めるので、現状でも十分です。そのまま土に帰るものです。墓とか仏壇の心配より先に、供養...

話し方もテンポよく
考察の1も2も的確だと思います。
話し方も、まず相手に呼びかけ、内容の導入を出し、それから内容を話し終えるつもりなので、適格だと思います。
それで、あなたの話を遮る相手が不特定多数なら、...